ベトナム旅行2日目午前

空調が効いていて薄ら寒くて、目覚ましを6h30にかけておいたのに5h頃起きてしまう。 寒さの他は体内時計(時差)と、ツアーだから寝坊できないというプレッシャーからだと 思う。カーテンを開けたら街を見下ろせた。曇り空だけど、そこそこきれいだ。ベトナムで 迎えた最初の朝だった。

朝食はビュッフェと聞いていた。その前にフロントに変圧器を借りに行く。「ハウス キーパーにて貸し出しております」と書いてあったから、とりあえずフロントに行けば どうにかなるだろうと思って。しかし2Fのビジネスルームに行くよう言われる。どこよ。 2Fに着いたらアオザイを着た小柄でかわいい係の女性が
「アダプター?インターネット回線のですか?」
と尋ねてきて、あれ?と思う。電話して代わってくれた人に
「お部屋にありますよ。ポットのコンセントについてるはずです」
と言われ、そういえば…と解決。でも皆さん丁寧に対応してくれた。日本語で話しかけて くれたフロントのおじさんもいたけど、やっぱり英語が主流だ。話せて良かった…。

ロビーの下の朝食ルームは混んでいて、席がなかった。空いていると思ってテーブルに 皿を置いたら日本人のおじさんに「まだ座ってますよ」と言われ、慌てて去ろうとしたら 「でもすぐ終わりますから」と相席させてもらえた。おじさんは(後でSさんと教えて もらった)金融のセミナーで来ているらしい。東南アジアには何度も来ているんだって。 明日も席なかったら一緒しましょう、話し相手になってくれてありがとうと言ってくれた。
朝ご飯は、グァバジュース、しじみ入りのおかゆ、クリスピーベーコン、ハッシュドポテト、 スクランブルエッグ、ドラゴンフルーツ、メロン、グレープフルーツ、マンゴーをごく 少量ずつ。

部屋に戻ってママとAPPEちゃんに電話するも、両方留守電。今日は9hロビー集合で、 午前中はクチのトンネルに行く予定。そういえば頭痛が治ってる!

一緒のツアーで、同じホテルに泊まってるIさん夫妻が
「一人だと寂しいでしょ?ごはんのときとか一緒に座りましょ」
と言ってくれた。両親よりも一回りくらい年上なので緊張したけど、すごく嬉しかった!


今日と明日団体行動するのは11人で、あたし以外は皆2人組だ。クチはホーチミン市の 北へ車で1時間半行った所にある。長い道のりだから、サウさんがベトナムの基礎知識を 話してくれた。日本と同じく南北に細長い国土は、九州を除いた日本くらいの面積で、 人口は8000万人。その内700万人がホーチミン市に固まっている。ホーチミン市は東京都より 少し小さいくらいだとか。

今のベトナム語表記はフランス統治時代に支配者らが作ったそう。元は中国語のように 感じだったのを、アルファベット+発音記号で独自のスタイルを作り上げた。通貨単位の ドンは、銅と書いていたのをdongとしたとかね。

バスの外はすごいバイクの量。交通事故は年に1万3000人の死亡者を出す(日本より 高確率)が、何と毒蛇に噛まれて死ぬ人は1万7000人と上回るらしい。噛まれたら1時間、 種類によっては30分以内に病院で治療しないとダメらしい。怖っ。

すれ違った白い車にピンクのリボンが巻いてあった。結婚式の車だそうだ。今日は大安 だからだそう。サウさんも大安に結婚したらしい。次に「あ、あれは霊柩車ですね」と通り 過ぎて行ったのはさっきの車なんてメじゃないほど豪華な車。まるでお神輿みたいだった。 そこからお葬式の話を聞いた。95%は土葬。都市に住んでいて土地を持たない人は墓地を レンタルするそう。額により借りられる時期が違うらしい。満期が来たら(!)遺体を 掘り起こして火葬にし、遺骨箱に入れるんだって。最初から火葬にしないのは何故。お墓も 見えたけど赤や黄色とカラフルで、西の方角を向いていた。太陽が沈む方向だからだそう。

自分持ちの農地がある場合、それを住宅地にするのは違法だそう。気になる土地の価格は 1平米1万円程度、だって。家を建てる場合は、建築費込みでその値段。ベトナムに暮らし たいなぁ。

今走っているこの道路はシンガポール、タイ、マレーシア、カンボジア、ベトナム、 中国をつなぐことになっているらしく、それぞれの国が工事を進めているとか。「アジア 中をつなぐことになります」…島国日本、仲間外れだ。

路上で生きた鳥を売っていた。それはアヒルで、1羽たった300円くらいだって。

バイクは一家に1台と規制があり(多いから)、1台に乗れるのは大人は2人までだけど、 子供は何人乗ってもいいらしい。家族4人で乗っているのを見て(例によってノーヘルで ぶんぶん飛ばしてる)びっくりしてたら、大家族はそれどころじゃないらしい。ちょっと 見てみたい。

免許はバイクなら実技テストのみだけど、車は筆記もあって、合格基準が結構厳しい らしい。サウさんは一度不合格になったとき試験官にお金を渡して再受験、こっそり答えを 教えてもらいつつ合格したそうな。まぁカンニングだけで受かったわけじゃないだろう けど…。今こそ取り締まりは厳しいものの、ベトナムの賄賂はゼロというわけではないそう。

ベトナム人の間でも有名な会社は総合商社だと丸紅と日商岩井、メーカーはホンダ (オートバイの代名詞だそう)、日産、SONY(テレビで有名)、松下とか。一般家電で 使われてる家電の50%が日本製だとか!ベトナム人は普通そんなに給料が高くないが、 高級品を買うらしい。
「安物買いの銭失いって言うでしょう」
とサウさん。

十二支はネズミ、水牛、トラ、ネコ、タツ、ヘビ、ウマ、ヤギ、サル、トリ、イヌ、 ブタなんだって。あたし就活の試験で「ウシ、ウマ、ネコ、イヌ、ウサギの中で他と異なる ものは?」という問題に答えられず、帰宅して104くんに「ネコ。十二支でしょ」と言われて 悔しい思いをしたけど、ベトナムではこの問題出せないね。ちなみにその会社、筆記は 通ったけど面接で辞退した。

そうこうしている内に外の風景が田園的になってきていた。どこまでも広がる青々と した水田の真中で茶色の水牛がのんびりしている。ん、10月末なのに稲が青々してる? それはベトナム南部が年間通して暑いので、お米の3期作が可能だから!好きなときに 作れると。ベトナム米はタイ米に似ている上、生産量もタイ米に次いで多いらしい。 もっちりした食感好みの日本人へはチャーハン用として輸出してるんだって。また、田んぼ では釣りをしている人もいて、蛙、雷魚、鯰なんかが釣れるらしい。雷魚は動物並に肉が 固いけど、泥臭くなくておいしいとか。両手でつかまえてもぺっと飛んで逃げると聞いて、 おっかないなぁと思った。


トンネルまであと30分という所で、今から行く場所についての説明を受けた。抗仏運動が 始まった1948年からゲリラが掘り始めたトンネルで、当時は地下1階(深さ3m)、45kmの 長さだった。それがアメリカのベトナム戦争参戦で再び注目され、地下2、3階(深さ6m、 10m)、250kmまで拡張された。生活の場としてだけでなく、兵器や雑貨の工場、病院、 会議室もあった。1960年代にアメリカ国防長官のロバート・マクナマラがベトナムを視察 したとき、この難攻不落の要塞を見て「これは負ける」とコメントしたそうだ。そこで退却 していればベトナム人が民間人を含めて300万人も死ぬようなことはなかったはず。しかも この戦争は「何のためにやったのかわからない」と言われている。やり切れない。

戦争に参加したアメリカ兵は60万人だが、うち死者は5万8000人。しかしベトナム人 死者はその約50倍も死んだ。アメリカ軍は63万5000トンもの爆弾をばら撒いた。不発弾、 地雷、そして広範囲の酸素を奪う新兵器の爆弾(村上龍の「昭和歌謡大全集」のラストに 出てくる)。枯葉剤は7200万リットル、1000万ha中150万haに渡って散布され、未だに不毛の 土地も多くあるそうだ。

混血児はみんな米仏に戻したという話もあった。フランス占領下ではフランス人との ハーフが、ベトナム戦争中はアメリカ人とのハーフがたくさん生まれた。後者の戦争孤児は 「Miss Saigon」で言うブイドイだ。それが現在全く見られないのは、強制送還という事実が あったから。共産国なので、資本主義国の血を引いた人間は許せないからという。中国系 ベトナム人もいるが、外見で判断できないのでそのままいるとも。


施設で模型を見ながら説明を受け、ビデオを見る。観光客向けに日本語だったけど、 内容をそのまま訳してあるからかなり偏っている。「我が国のゲリラは素晴らしかったので、 アメリカ軍を苦しませた」みたいな感じで、言うなれば北朝鮮のニュース番組を見ている ような感じ。ビデオには少女ゲリラも出てきて、トンネルといい働く少女といい、夏に行った 沖縄のひめゆりを思い出さずにいられなかった。サウさんは17歳のときに2年間従軍した そうだが、ビデオの説明みたいに偏った見方ではなく客観的な説明をするように心がけて いる、と言っていた。

実際にジャングルを歩いてみることになった。蚊がいる。しょっぱなから足をやられた。 すぐぴしゃりとやって血がどべーっとついて、うわ変な病気になったらどうしよう、と 心配した。最初に行き当たったのは、地面に開いた小さな長方形の穴。ここからトンネルに 出入りできるらしい。普段は蓋をした上に落ち葉などをかけてわかりづらくする。小さな 空気穴などもぽつぽつ開いている。アメリカ兵はだんだん要領を得て、こういう穴を 見つけると毒ガスを注入するなどしたそうだ。それで蟻塚なんかを生かすなど、工夫して いたんだって。

罠を見た。毒を塗った竹槍が何本も仕掛けられた落とし穴。カーキの軍服を着た無表情な スタッフが、デモンストレーションをしてくれる。とん、と蓋を長い竿でつくと忍者屋敷 みたいに罠への扉が開く。回転式とか挟み方とか色々種類があって怖い。

工場ではマネキンたちが作業している。敵軍の爆弾を分解してリサイクルしたり、後で 見たのはタイヤからゴム草履を作る職人さん(実演)。あのザグッ、ザグッという音は ホラー映画っぽくて怖かった。他にホーチミンの肖像と共産党の旗が掲げられた会議室などを 見た。そしていよいよトンネルに入るときが来た。

「私は外で待ってますから、皆さん行ってきて下さい。30m、60m、100mの3つ出口が あります。ただ引き返すことはできませんので、無理しないで下さいね」
あたしはIさん夫妻に次いで3番手。暗くて、じめじめして、狭くて、何より暑い!これでも 観光用に拡張してあるらしい。四つん這いで行くものらしいが、あたしはしゃがんで一歩一歩 進んで行く方法を取った。目の前にはIさんの奥さんのお尻だけがあって、これまたIさんの 奥さんの悲鳴が絶えず聞こえて、変な体験だった。30m地点で皆出た。Iさんの旦那さんが
「お前がきゃーきゃーうるさいからみんな途中で出ちゃったんじゃないか」
と言っていて面白かった。

汗だくになって出たら、当時ゲリラが主食にしていたお芋を試食することになった。 繊維質のジャガイモという感じで、もちもちしていて意外とおいしかった。これがタピオカの 元・キャッサバ芋だそう。塩、砂糖と砕いたピーナッツを混ぜたものにつけて食べる。一緒に 出たお茶は一瞬生臭い感じがゴーヤ茶に似てるけど、普通に生えてる草から作ったもの なんだって。


昼ご飯はベトナム料理。レストランの前には川があって、蓮の葉っぱの塊がときどき すいーっと流れて行く。猛暑だけど、見ているだけで癒される。内装も質素ながら美しくて、 オープンスペースで心地がいい。

メニューはもう決まっていて、バインセオ(お好み焼き)、 揚げ春巻き、野菜炒めを酸っぱく和えたもの(えびせんべいに乗せて食べる)、魚の フライのチリソースがけ、空心菜のニンニク炒め、具沢山スープをごはんにかけてねこ まんまみたいにするの、自家製バインフラン(プリン)のコース。最初の方が油っこくて びっくりした。飲み物は別チャージで、氷は避けるようにってガイドブックに書いてあった から
"No ice, please."
と言ったら普通のグラスにホットのが出てきた。確かに間違ってはないけど!でも何度か 繰り返したときに"ice cubes"って言ってあるのに!受け取ったとき熱くてびっくりしたよ。 かつ、リプトンのティーバッグだった。緑の皮にオレンジの果肉が印象的なオレンジと、 柚子みたいな大きさのレモンがそれぞれ半切りでついてきた。好奇心からとりあえず全部 絞り入れてみたら、ちょっとまずくなった。これで2万3000VND($1.50)だ。同じテーブルの Tさん夫妻はサイゴンビールとタイガービールを注文していて、サイゴンビールをちょっと もらったんだけどあっさりしていて飲みやすかった。


バスでホーチミン市に戻る。どうしてサウさんはこんなに日本語がうまいのか、という 質問が出た。教育としては東遊(ドンジュン)学校という日本語学校に3年間通ったきりだ そうで、日本に行ったこともないらしい。動機は好奇心からで、まさか仕事に生かすように なるとは思ってなかったそうだ。でも日本語はとても難しく、彼曰く「秋の葉が落ちる ように」同級生たちがやめて行って、卒業時は入学時の1割しか残っていなかったそうだ。 卒業後は水力発電所の通訳・翻訳として働いていたというから、道理で知的なのね。 そこでの仕事は楽なのに高給だったということだけど、山の中ではお金を使う機会がなくて 退屈だし、ヒルや蛇はいるしで苦労したんだって。

家の門に、沖縄のシーサーみたいに犬の像がくっついてて不思議だったけど、眠くなって きたのでサウさんに質問しそびれた。食後の睡眠。牛だね。

Oct.31, 2004


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