「なぁ、アレ、可愛いと思わない?」
「……はぁ?」
 上ずった声でコソコソと耳打ちするアキラに、オレはぐいと眉をひそめた。
 なんなんだろう、このテンションの高さは。まぁ、大体コイツはいつもバカみたいにうるさいんだけど、いくら友人と言ったって、鬱陶しく思うこともある。いや、正確には、”とてもよく”鬱陶しいと思っている。
 自分で言うのもなんだけど、オレって結構クールなタイプだからね、暑苦しいのは、性に合わないというか……。
「だからっ、聞こえてるんだよ、深司!」
 うん、オレも充分聞こえてるよ。だから、耳元で怒鳴るの止めてくれない?
 ……いいから話を元に戻せ?
 ああ、どうせまた、オレのせいなんだ……はいはい、いいよもう、それで……

 このまま放置すると、余計ややこしくなるのは分かっている。仕方なく、オレはアキラの示す先を見てやることにした。
 ショートカットの額を出して、瞳がくるくると(はしこ)く動く、猫のような印象の女の子。
 言うまでもない、橘さんの妹、橘杏だ。さっきまで、オレたちと一緒にテニスの自主練をしていて、今はオレンジジュースを片手に、二階に上がってきた橘さんを手招いている。
 別に、いつもと変わりはない。
 どこぞの怪盗が変装してるとも思えないけど……ていうか、漫画じゃないんだから、そんな素っ頓狂な展開があっても困るよね。
 ……で、それが、何? 可愛い?
 ノロケなの? バカじゃないの、アキラ?

「ばっ、だから、ボヤくなって!! 聞こえちゃうだろ!!」
 うるさいな、聞いてるわけないだろ、オレの言った事なんか。オレよりよっぽどデカい声で、

「お兄ちゃーん、こっちよ、こっち!」

 ほら、橘さんを呼んでる。
 だから、早く結論を言ってくれない? オレの鼓膜が破れる前に。

 ……ん?なに?
 爪の色、が?

「あっ、深司クン、もしかして気付いてくれた?」
 杏ちゃんは、嬉しそうに手をひらひらとさせた。その無邪気な様子は、確かに悪い印象には取れない。
 アキラが横で、「とっ、とっても、似合うよ!」と急き込んでいる。オレはものすごく、うわぁ……と思ったけれど、友人の(よしみ)で口をつぐんでいてやった。
 いや、もしかしたら、少しは実際に声に出てしまっていたかもしれない。
 だって、アキラが恨めしそうにこっちを見ている。

 でも、その先は言わないでおいてやったんだから、むしろオレの優しさに感謝すべきだよね………。
 まぁ、コイツが的外れなのは、いつものことなんだけど。

 それにしても、こんな些細なとこまで見ているなんて、アキラってホント健気というか、なんというか……。
 桃色がかった柔らかいオレンジは、彼女の名前と同じ、アンズ色と言うのだろうか。テニス焼けした肌の色に溶け込んで、本当に言われなければ気付かない。まぁ、女子同士なら気付く程度かもしれないけど。
「どうせ、月曜には取らなきゃならんのだろ?」
「いいじゃない、たまには、お洒落したいの!」
 遅れて合流した橘さんも、そんなものかなぁ、と言いたそうな顔でダブルバーガーをかじっている。
 この兄妹はうちとは違って、大分仲がいいのだけど、流石にこれは専門外らしいね。まぁ、オレだってちっともその感覚は分からない。言われてみれば、クラスメイトにそんな子はいなかったような気もするし、多分校則で禁止なんだろう。
 オレはどちらかと言えば、家のうるさい妹どもを思い出し、あと数年で同じように騒ぐのか、と想像して閉口した。

「でも、最近は男の子もするらしいよ?」
 お兄ちゃんたちにも、してあげようか? からかうように問われて、オレたち三人は今度こそ返す言葉がない。
 その沈黙にネガティブな感情を感じたのか、杏ちゃんは「まぁ、それは置いといて、」とさっさと話題を切り換えた。
 このサバけた機転の良さが、橘さんの妹、としてだけではなく、彼女が男子テニス部で上手く立ち回れる根拠なんだろう、とどこか他人事のように思う。……まぁ、どこか、と言わなくても、他人なんだけど。

 でも、アキラの態度には、天然なのかわざとなのか、まるで気付いていないようなんだよね。
 言わば、眼中にないっていうか……
 嗚呼やっぱり、前途多難だね。気の毒なヤツ……。
「だから、そういうとこだけ、いちいちボヤくな!」



 その後はいつも通りにテニスの話題で盛り上がり、オレはそれまで何の話をしていたか、すぐに忘れた。

 再びその記憶を手繰り寄せる羽目になったのは、次の日の夕方を過ぎてからだった。



「あれっ? 伊武さん! 伊武さぁーん、ってばー!!」

 向かいから無遠慮に近づいてくる声に観念して、オレは仕方なく立ち止まった。
 小走りで寄ってきた彼女は、何が楽しいんだか、今日も無駄に高いテンションで、にへらっと隙のある顔をしている。
 田舎者、と中傷するつもりじゃないけれど、この子には明らかに、都会人では見せないような、世間擦れしていない雰囲気がある。感情をすぐに顔に出すし、人怖じせず、失敗を恐れない。全てが開けっ広げだ。世の中皆が良いヤツだとでも思っているのだろうか……
 まぁ、きっとそうなんだろう。単純だし……つまり、それがイナカモノってことなんだろうけど。
「あっ、今イナカモノって言いましたねー!!」
「だって、事実じゃないか……」

 第一、向かいからやってくる知り合いに、あんな大声で呼び掛けなくたって、普通気付くに決まってない?
 ……え、無視されそう?
 あーそう……ヒトの事、そういう目で見てるんだ、キミは……。ひどいにも程があるよね……。
 まぁ、確かに嫌いなヤツなら視線も合わせないけどさ……キミと偶然会って、余程の事がない限り、無視なんか出来るワケないよね。
 だって、キミっていつも無駄にやかましいし、動きも派手だし、見落とせるワケない……そう、見落とせる訳がないんだ。
 ……意味分かってないと思うけど。

 ともかく、せっかく会ったんだからお茶でもしましょーよ!!と彼女が言うので、オレたちは近くのファーストフードの店に入った。
 ……オレが誘ったんじゃなくて、が、ね。まぁ、時間も合ったし……って、ああ誰に言い訳してるんだか……はぁ。
 昨日と同じような店で同じような展開になったのは、偶然だ。だって、オレたちまだ学生だし。氷帝なんかのお坊ちゃん学校とは違って、資金に乏しいから、この手の店以外に行くとこがないんだよね……悪かったね。

「あーちょうどよくお腹すいてたんですっ」
 色気より食い気、を全身で体言するだから、食べ物を前にしているときはすこぶる機嫌がいい。
 ポテトにシェイク、だなんて明らかにカロリーオーバーなメニューでも、平気で頼んでいる……まぁ、部活で運動はしているんだし、多分平気なんだろう。親切なオレは、夕食前にそんなに食べるな、との小言を胸の内にそっと納めた。
 ああ、オレってつくづく優しい先輩だなぁ。
「聞こえてますよっ!!」
 自分のアイスコーヒーを啜りながら、文句を聞き流していると、ポテトを振り回す指がほんのりと色付いている事に気付いた。あれ、これは、最近どこかで見たような……。

 この時のオレはきっとどうにかしていて、ほとんど無意識に、疑問を口に出していた。

「その爪……」
「あっ、これですか?」
 途端に、尖らせていた口をぱあっと笑みの形に引き上げて、は嬉しそうに言った。

「えへへ、気付きました? 実は、金曜日に杏さんの家に遊びに行って、塗ってもらったんです」
 この色、可愛いですよね!と急に機嫌を良くして、は締まりなく笑顔を振り撒いた。

 ……まぁ、確かに、頭の悪い犬に似ていて、庇護欲を煽るというか……
 可愛いと、言えなくもない、かな……

 などと思わず脳みその沸いたような事を考えてしまったのが、運の尽き。一気に昨日の出来事が蘇って、そうしたらもう、顔が火照るのを止められなかった。



「ん、あれ? 伊武さん?」
 ああ、救いようがない。
 オレだって別に、自分を過大評価してるわけじゃないけれど、ここまでバカだとは思っていなかった。
 予想外を過ぎて、戸惑う。どうしていいか、分からない。
 ただひたすら、この場所から消え去りたい。オレの記憶も、ついでになくしてほしい。

 とりあえず熱い頬を人目に晒したくなくて、顔を隠すように、片手で額を覆う。
 こんなにも恥をかいたのは、今までの僅かな人生で初めてなような気さえした。
 ああ、本当に、つくづく自分に嫌気がさす。信じられない。信じたくない。



 ――あの、浮かれたアキラと、全くそっくり同じ反応をする、だなんて。
 些細な変化も見逃せないほど、彼女に聡くなっている、だなんて。

 つまり、オレは端から見たら、あの舞い上がって途方もなく恥ずかしいバカと同類で――
 多分きっと、同じぐらい情けない病気にかかっている。



「ちょっ、伊武さん!? どーしたんですか!!
 なんか、すごい顔が赤いですけどっ!!」

 ああ、もう、ウルサイ。どうしてそう、言われたくないことばっか言うのかなぁ。デリカシーとか、ないワケ? それとも、オレのデリカシーならどうだっていいってことなの?

 ここぞとばかりにボヤいてみても、慌てたはちっとも話を聞いていない……だから、熱計ろうとするの、止めてくれない? 余計ひどくなるじゃないか……
「余計、ひどく!!」
 ああ、本当、どうでもいいとこばっか、聞いているんだから……。
 注意力散漫、ていうか、はやとちり。空気読めてない。
 だから、キミはバカにされるんだよ……ああ、もう。



 結局、ひどい風邪と勘違いされたオレは、女の子に家まで送られる、という体たらくまで演じさせられ、妹どもには勘繰られ、散々な想いで、今、眠たくもないのにベッドに放り込まれている。

 もうこれでしばらく、合わせる顔もない……我ながら、みっともなさすぎる。
 だけど、まぁ、結果としてはそれでいいのかも知れない……。だって今すぐ会ったって、どんな顔をしたらいいのか、考える由もない。

 ……ああ、それにしても、腹が立つ。
 こんなにオレが醜態を晒したのも、元はといえば、アキラのせいじゃないかな……ていうか、そうだよね。多分、そう。アキラが悪い。

 もう、これは明日学校で憂さを晴らすしかない――そう思いながら、オレは布団の下で頭を抱えた。

アプリコット・ラブ

(09.02.23)

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