勝手にしやがれ

「ありえんっ!」
「そーよ、ありえないっ!!」

 手の平に広げた小さな紙を目にしてすぐに叫んだあたしたちの言葉は、偶然にも同じだった。
 黒板に描かれた歪んだ教室の地図。割り振られた番号によれば、あたしの席は一番後ろだ。
 それ自体は大変よろしい。むしろ大歓迎だ。ウェルカムようこそ、夢の学園生活って感じだ。
 何の因果か、隣は原尾。それもまぁ、特に問題ない。最近までかなり苦手だったものの、意外に面白いやつだと分かった。向こうはどうだか知らないが、あたしにとっては取るに足らない瑣末だ。

 聞き捨てならないのは、あたしの前が笠松な点。

「おい、それってちょっとひどくにーか!?」
 声を荒げるあたしの後ろでブツブツ言ってる男がいるけど、そんなものは耳に入らない。悔しかったら、今すぐ縮んで欲しいものだ。

「先生!! やり直しを要求します!」
 あたしが猛然と詰め寄ると、ジャージ姿の教師は面倒そうに首を鳴らした。
「こんなデッカイ奴の後ろなんて、視界ゼロですよっ! 前が見えるはず、ないじゃない! あたしに立ちっぱなしで授業しろって言うんですか!?」
「ああ? いーだろ、どーせお前寝てるんだし。席順もう書いちゃったし、先生、すごく面倒だ!」
 縋る可愛い教え子を自分の身勝手で一蹴して。担任は理由もなく偉そうに、椅子の背にふんぞり返った。
 確かに我がクラスの担任は、学内一やる気に欠ける教師として有名だ。だが、仮にも教師の分際で、生徒の勉学が滞るのを「めんどい」の一言で見過ごそうとは何事かっ!!
 ……いや、そりゃあまぁ確かに、寝るだろうけどさぁ……!!

「これでも一応、受験生なんですっ!」
「へぇー、そりゃ初耳だなぁ」
 もう一年やり直すのかと思ってたぞ、なんて、こないだ二者面談の予定組んだばかりだろうに!第一、デリケートな思春期の若者に対してこの言い様、冗談にしても笑えない。出席日数が危うくて職員会議でも常連のあたしにとっては、尚更笑い飛ばす事なぞ出来なかった。
 誰かさんと違ってお育ちがあまりよろしくない、一般庶民のあたしは、ついつい恩師に向かって、拳など固めてしまうのである。

「ともかく! せめて、位置入れ替えるだけでもいいから〜!」
「ええ〜、俺のせっかくの力作が汚れる〜」
「こっ、この、アホ教師ッ!!」

 思わず教え子としての愛のツッコミを放ってしまいそうだったあたしだが、急に割り言った背中に邪魔をされる。すらりとしなやかな背中には艶やかな黒髪が流れていて、宙を舞うそれがあたしの顔をバチンと弾いた。
 ムッと眉をしかめると、微かに漂う“美人”の香りが鼻先をくすぐる。だがしかし、制服の太いボーダーラインは、明らかに男子の学ランのものだ。
 女顔負けの美貌の持ち主、気取った尊大な金持ち男。そんな男子生徒は、あたしのクラスに一人しかいない――

「なんだ、この滅茶苦茶な席順は!! 不服だ、やり直しを要求するッ!」
 麗しき暴君・原尾王成は、あたし以上にいきり立って担任に詰め寄ったのである。



「原尾、お前もか」
 うんざりしたように、先生は耳の後ろを掻く。
 もはや生徒をからかって楽しんでいる顔ではなく、この話を終わらせて授業にしなければ、と言いたげだ。
 まずい、これはまずい。あたしは余計な口を挟むな、と原尾の制服を引っ張ったが、彼はこちらを振り返りもせずにその腕を払った。
「こいつはともかく、お前に文句言われる筋はないぞ。この席替えはお前が是非に、と主張したから他の用事を回してやったんだからな」
 先生が気に食わないのもよく分かる。彼は昨日あたしにからかわれた事を根に持って、その権力を駆使し、朝のHRを無理矢理席替えに変えてしまったのだ。全くロクな事をしないヤツだ。
 その点、あたしはバカだけど、そんな無体はしでかさない。理由だって、彼の自分勝手な意見よりも数倍筋の通った、物理的な素因だ。教師も上手く説得できるはずなのだ。せめてあと数分粘れば、鬱陶しくなって入れ替えの矢印ぐらいは入れてもらえると思うのだ。
 だから、早くそこを退け! あたしに代わりに喋らせて!!
 あたしは彼の前に出ようと躍起になったが、うざったいロン毛が進路を阻む。こんな時だけブロックしないで、試合で活かせと言うのに!!

「たかがクジを引くだけだ、ものの五分で済む」
「あと二分で予鈴なっちゃうだろうが。ダメダメ、諦めな」
「余はこの女の顔が見たくないから、席を替えろと言ったのだ。これでは本末転倒だろう!!」
 不精髭を撫でながら、先生はうろんげに視線をあたしに走らせた。正直、どうでもいいといった感じが態度にありありと出ていて、口調は至って気楽なものだ。それがまた、原尾の神経を逆撫でるのだろうが。
「ふーん、お前ら、喧嘩中なの?」
 何と言っていいのやら思いつかなくて、ただ首を竦める。
 あたしはこの話題には興味がない。目の前を遮る巨大な肉の壁の方が、よっぽど問題なのである。
「確かにこいつはバカだから手を焼くかもしれないが、痴話喧嘩は良くないぞ。クラスメイトに迷惑だからな」
「「誰がそんな話をしてるかっっ!!」」
 あたしは呆れ半分、原尾は怒り心頭のツッコミは不本意ながらユニゾンであった。
 おー、仲良し仲良し、なんていなしながら、不良教師は紙束を掴んで立ち上がる。

「ちょっと、どこ行くのよ!?」
「授業に決まってんだろ。お前らも、さっさと席戻れ」
「じ、じゃあ、席替えは!?」
 その時のあたしの叫びは、我ながら悲痛そのものだったはず。
 だが、担任は無情にも時計を見上げて示した。

「んなもんしてる時間あるか? 無理だ、無理。次まで我慢するこった」

 ぬ、ぬぁに〜ッッ!? 怒りにうち震えるあたしの肩を、クラスメイトの男子がおずおずと叩く。
「あ、あのー、一応机移動しておいたから」
「んなもん頼んでないわいっ!!」
 思わず空中飛び膝蹴りをかましてしまったあたしの事を、非難できるヤツは誰もいないと思う。

 しかし、そんな事をしていたせいで、あたしは些か出遅れた。担任は「パンツ見えるぞ」と無意味な一言を残して、教室を出て行ってしまったのだ。
 原尾が慌てて後を追ったが、本鈴のチャイムが無情にも校内に響き渡る。
 しかも、一限の世界史の教師が早々と教室まで来てしまっていた。

「は、原尾くん、どこへ行くのかね? もう出席を取ってしまうよ……」
 おどおどとした態度の壮年教師に阻まれ、彼は鋭く舌を打った。だが、全ては遅すぎたのである。曲がりなりにも学生という身分であれば、教師の指示に従わない訳にもいかない。ましてや、今は高三の秋――進路選択に関わる、重要な時期であれば、尚更。
 彼はぎろりと鋭く“障害物”を睨め付けながらも、教室に戻らざるをえなかった。



 なんとも苦い顔で新しい席に座るあたしたちは、まず初めに机の位置を可能な限り遠く離した。
 怒りが過ぎて互いの顔が見れない。きっとどちらも、向こうのせいだ、と考えているのだ。もちろん、絶対原尾のせいだったが。教室内の雰囲気も、ひどくぎこちなくなってしまった――もしかしたら、そっちはあたしの飛び膝蹴りのせいかもしれない。

 それなのに、一人ニコニコと上機嫌な大たわけが、あたしの目の前に座っている悲しさと言ったら……!!

「まぁまぁ、いーじゃにーか! 気の知れた同士で……」
「だから、なんでお前は妙に嬉しそうなんだッ!!」

 あたしの怒りの鉄拳が笠松の鳩尾に強か食い込んだことなど、今更言うまでもないだろう。
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