五色の砂漠

「ラクシ、ラクシ」
「ん、何?」
 彼らの数歩先を歩いていたラクシは、踵に乗ってくるりと振り返った。
 目の詰まった防寒用の灰色の外套、ハザが動きに合わせて重そうに翻る。
 ラクシはいつもティーエのゆっくりした歩調に合わせる事が出来ず、少し列から飛び出してしまうのだ。むしろ歩幅の大きいボイスの方が、速度を緩めるのが上手い。

 身軽に二人の許まで戻ってきたラクシに、ティーエは白い頬を微笑の形に崩した。
「あちらを見て下さい、雲が…」
 すぅと長く繊細な指が、ある一点を示す。
 素直に首をそちらに向けて、ラクシはあっと声を上げた。
「わ、何あれ?」
 縁が不思議に淡い五色に染まった雲が、空に千切れて浮かんでいた。
 西の空に傾いた陽は、よく熟れた果実のように瑞々しく、もったりと重たそうだ。うっすらと朱鷺色の光の中、東の縁は既に夜のそれに染まりつつある。乾いた砂と風しかない、旅人を苦しめる恐ろしい砂漠も、今は一幅の絵の一部だ。
 美しい光景に惹かれ、ラクシは瞳をきらきらと宝石のように輝かせた。

「彩雲と言う、珍しい雲です。大陸の東では、おめでたいしるしなんだそうですよ」
「へぇー!」
 ラクシは無邪気に喜んでいる。その様子に引き締まった頬を緩めながら、ボイスものんびりと風景を愛でた。
「どうしてあんな色になるんだ?」
「雲を作っている水の粒が、光を跳ね返しているのです。その粒が、プリズムのように光の色を分けるのだ、とケイローンから教わりました」
「虹と同じだな」
 はい、と嬉しそうにティーエが頷く。
「わたしも、見たのは初めてです」
「虹の雲かぁ…」
 ラクシは夢中でそれを眺めた。
 オーラの色は喜びに生き生きと輝き、ティーエの瞳に眩しかった。太陽を見るように、彼は美しい眼を細める。
 夜はもうすぐそこで、陽が完全に沈めばこの雲ももう見れないだろう。
 幸い、水袋の中身に余裕がある今は、旅路を急ぐ必要もない。巨大な夕日がゆっくりと地平線に沈み、最後に金色の光を投げ掛けるまで、三人は珍しい風景を楽しんだ。


「ああ、色が消えちゃった」
 ラクシは名残を惜しむように、もう一度空を見上げた。
 それはすっかり夜の色に変わっていて、星の光も、一つや二つではない。
 子供のように拗ねた頬はふっくりと丸く、指を伸ばして突いてやりたくなる。ボイスは野性味溢れる笑みで、ラクシをからかった。
「ラクシも、お姫さまらしいところがあるんだな。雲を見て感激するなんて」
「なっ、何だよ!」
 ラクシはすぐに、肩を怒らせた。
 美少年に見えるラクシは、実は男装をした少女なのだ。それもただの少女ではない。山奥の小さな村ほどの国とは言え、新イタール公国の王女なのだった。今はわざと乱暴な言葉を使っているが、本当は淑やかな王女としての顔も持っている。
 ただ、女々しいヤツと思われたくないので、お嬢ちゃん(、、、、、)扱いされるのが嫌なのだ。
「ボイスだって、喜んでたじゃんか!」
「ああ、確かに不思議な光景だったからな」
 ボイスがラクシをからかうのは、もちろん女々しいと思っているからではない。
 素直に怒るのが可愛いので、つい、からかってしまうのだ。



 そんな様子を頬笑んで見ていたティーエが、ふと何かを見るように視線を遠くに向けた。
「人が…十人ほどの人が、こちらに向かってきます」
「盗賊ッ?」
 パッと顔を引き締め、ラクシは後ろを振り返った。もう随分暗く、人影は見えないのだが……。
 砂漠の夜は、早い。日が沈めばあっという間に辺りは闇に包まれ、そして厳しい寒さがやってくる。
「もう、直に合流するでしょう」
「ティーエ、生きている人か? それとも死んでいる人か」
 ボイスが慎重に聞いたのは、ティーエはあまりに霊視の力が強すぎてしばしば人と(ハラン)を混同してしまうからだ。
 彼は首を傾け、おっとりと口を開いた。薄すぎるため金に見える茶髪が、外套の背から滑って胸の前にこぼれ落ちる。
「生きている人だと思います…」
 ティーエは、滅多なことでは慌てない。
「それに、もしかしたらわたしたちと同じ、旅人かも……」
 焦っても何にもならないことを知りながら、ラクシは焦れったそうに爪先で砂の地面を叩いた。
「オレ達目指して走ってくる“ただの旅人”がいるかっ」
「はぁ……」
「ここでは、身も隠せないな」
 砂丘を見渡してボイスは首を振る。
 もう、彼の卓越した感覚も追っ手の気配を伝えていた。旅人とは思えない殺気を、灰色の肌に感じる。すぐに、ラクシも暗闇にその影を見ることができるだろう。

 ボイスは足を止め、背中に負った大剣を鞘ごと手に取った。
 彼ほどの偉丈夫でなければ、運ぶのも大変な巨大な剣だ。
 ずっしりと手に重い鋼の手応えを感じながら、ボイスは複雑な苦笑を浮かべた。
「どうやら、俺の客らしい。巻き込んだな」
 首の後ろ辺りに、チクチクと突くような気配を感じる。
 すまない、と詫びると、ラクシは形のいい眉をきりりと持ち上げた。
「何言ってんだよ、水臭い」
「ラクシ、ありがとう。ティーエを頼んだぞ」
 視界の端で二人が一歩離れるのを確認してから、ボイスは大剣の鞘を払った。
 もうすぐそこにいる傭兵たちが、既に抜刀しているのが見えたからだ。

「ボイス=マグナスだな」
「手配書と同じ、灰色の肌の大男」
「俺に何か用か?」
 右手に大剣をゆったりと構えたまま、ボイスは落ち着き払って言った。刄を抜いて、目をギラギラと光らせた傭兵たちの目的など分かりきっているのに、だ。
 彼らはボイスを睨み付けたまま、唇の端を歪めて嘲笑した。
「とぼけている場合か?」
「ここがお前の墓場だよ!!」
 そう口々に叫んで、男たちは四散した。
 彼を取り囲むつもりだ。

 しかし、ボイスの大剣がそれを志し半ばで阻んだ。
 ヒュッ、と重く空を切る音に続いて、ぐしゃりと骨が叩き潰される。
 刀の重みと遠心力を充分に利用して、彼は傭兵の二人を早々と地に沈めた。
 胸骨から肺にかけて剣筋を受けた彼らは悲鳴すらあげられずに絶命する。もはや物を言わぬ口が、ごぼりと涎の混じった血泡を吐く。
「くそっ!!」
 仲間の最期にいきり立った男が、剣を振り上げて切り掛かる。ボイスは返り血を避けながら、三人目の男に向かって剣を振るった。



「どうしても、戦わなければいけないのでしょうか」
 ラクシと共に一歩下がりながら、ティーエは悲しそうに言った。
 ボイスの大剣は間合いが広いため、あまり近づきすぎると味方までも傷つけてしまう。こちらを気にしていてはボイスが上手く剣を振るえないので、彼はいつも一人抜きんでて戦うのだ。
「話し合えば、分かってもらえるのでは…」
「賞金のためにここまで追っ掛けてきたような汚い奴らと、何話せって言うんだよ!」
 ラクシは怒って言った。
 ティーエが争いを嫌うのは分かっているが、こんな土壇場で何を言っているんだ、とついイライラしてしまう。
 もうすぐ目の前に、抜き身の剣を下げた男がいるのだ。少しは自分の保身を考えてほしい。
「ですが…」

 言葉の半ばで、彼は口をつぐんだ。
 ボイスが倒した初めの傭兵の血が、砂漠の砂を汚すのを見たからだ。
 砂漠はもうすっかり闇の中だ。月と星とのあえかな光で、襲い掛かってくる男たちの輪郭はうっすらと見えるのだが、表情までは伺えない。
 そう、常人には。
 オーラを視る力に卓越したティーエには、精霊(ストラ)たちの放つ燐光が助けて、闇は闇ではなかった。
 物質世界とは違う色に彩られた世界が、稀有なその瞳にはっきりと映るのだ。
 つまり、悶絶の表情を浮かべて倒れる男の顔や、悲哀に満ちた(ハラン)までもが。

「……っ!!」
 その強い負の感情を直視するのが恐くて、ティーエは美しい(おもて)を背けた。
 山を下りて間もない彼には、死は未だ生々しいものであった。魂が身体から抜け出ても、まだ己の運命を理解できずに彼らの頭上を彷徨っている。
 その叫び声を聞きたくなくて、彼は思わずギュッと目を瞑った。

「ティーッ!!」
 その細身の脇腹を、ギラリと光を跳ねる肉厚のナイフが狙っている。
 ラクシは素早い身のこなしで飛び出し、サッと右腕を振るってまた元の場所に戻った。
「……?」
 男は一瞬何が起きたのか分からないような顔をし――ぼたぼたと生温かいものが首を伝うのを感じた。
 手の平で拭う。
 両手がどろりとぬめった。
 鼻に強い血臭を嗅いで、ようやくそれが頸動脈から吹き出す血潮だと分かった。
 男は喉を掻き毟り、ばったりと前のめりに倒れた。

「大丈夫か?」
 星明かりの下でも、はっきりと青ざめて見える仲間に、ラクシは声を掛けた。
 しかし、気を散らしているわけにもいかない。ボイスからこちらに標的を変えた悪漢が近づいてくれば、短剣が再び振るわれた。
 ラクシは実際は少女なので、腕力や体力では敵に適わない。
 骨を叩き斬ることや、剣を長時間切り結ぶことは出来ないのだ。
 ラクシの剣はいつでも、身軽で正確なものではならなかった。確実に急所を狙わなければ、ラクシは彼らに勝てない。

 ぶつかり、もたれるように鳩尾に差し込んだ短剣を、男の身体に足を掛けてえいやと引き抜く。
 ボイスが既に五人をほふっていたので、残りはあと三人だ。
 捨て鉢になって男の二人がボイスに飛び掛かっていく。
 ラクシの黒曜石の瞳が、最後の一人のそれと合った。

「ラクシ、いけません! もう、やめてください」
 ティーエが後ろで必死に囁いている。
 ラクシの心を、優しすぎる青年への哀れみが過る。
 しかし、もうどうすることも出来ないのだ。
「オレがやめたって、こいつらはやめないんだぞ、ティー!」
 ラクシは歯の隙間から搾りだすように言った。ティーエを同情する反面、腹立たしくもあった。
 ラクシだって人を殺したくて剣を振るうわけではない。守りたいものがあるから、役立てる必要があるから、剣を学んだ。
 現に今も、この白刄の輝きが己とティーエを守っている。
 それはラクシの誇りでもあった。

 ぶつかるように突っ込んできた男を、ティーエに気を配りながら躱す。
 青年はもう何も言わない。さすがに、今口を挟んだらラクシが危ないと分かっているのだ。
 だが暗闇の中、その宝玉のような緑と紫の瞳で、悲しそうに自分を見ているのかと思うと、ラクシの心は乱れた。
 自分は間違っていない、そう思うものの、苦みが胸に広がる。

「チクショー!」
 ラクシは唇を噛み締め、刄を翻した。か細い月明かりに、鋼の刀身がキラリと光る。
 狙いは頸動脈だ。革の胴着で覆われていないそこは、ラクシの短剣でも容易に切り裂ける。
 せめて苦しまずに死ねるよう、精確に太刀筋を走らせて――

 ドッと、そこに何かが飛び込んできた。
 ボイスの剣に切り飛ばされた男の体が、ラクシに向かってきた仲間の傭兵にぶつかったのである。

「あっ!」
 思ったときにはもう遅かった。
 傭兵は体勢を崩し、しかしラクシは繰り出した刄を止めることが出来なかったのだ。
 狙いは逸れ、白刃は男の声帯に食い込んだ。
 ため息に似た悲鳴が、男の口から漏れた。
 最後の一人を切り伏せたボイスが、こちらを振り返る。

「いけません」
 ラクシが止める暇もなく、ティーエが男に手を伸ばした。
 血の滴る喉笛を押さえて、男が彼を警戒する。
「その傷なら、まだ治す事が出来ます。わたしは薬師です」

 それが偽りのない誠意の言葉だと、二人の仲間は分かっている。
 ティーエは例え敵であろうとも、傷ついた人を放っておけないお人好しだ。敵味方という分け方が、そもそも彼には不適切なのだ。
 だが、彼の純粋すぎる心は、却って理解されない事がある。
 私欲のために暗殺に手を染める、淀んだ者には尚更に。

 手負いの男が逆手にナイフを握っているのを見て、ラクシのうなじが逆立った。

「バカッ!」

 考えるよりも先に、体が動いていた。
 短剣の切っ先が人の肌を切り裂く。やけに乾いた音がした。
 その動きと対照に引かれた血潮の弧線が、ティーエの白磁の頬を汚した。

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