言わない関係

「次はこれ! これ入ろうよ、桜乃ちゃん!!」
「え、わたし、こういうのはちょっと……」

 桜乃ちゃんがそう渋るのを無理矢理説得して、わたしはお化け屋敷の中に入った。
 氷帝の跡部さんが企画した中学テニス部の集いは、まるでテーマパークのようにアトラクションがたくさんある、盛大な物になった。たまにはテニス以外の事で楽しむのも面白いね。毎日部活漬けの生活をしているわたしたちには、新鮮で楽しい。他校の人と試合以外で会う機会も、あんまりないしね。
 先輩たちもそうみたいで、クイズ大会に参加したり、出店を覗いたりしている姿をあちこちで見かけた。そう言えば、リョーマくんはどこに行ったんだろう…まだ姿を見かけてないけど。
 それにしても、身なりがいいとは思っていたけど、跡部さんって本当にすっごいお金持ちだったみたい…。
 イベントのために丸々一つ、ビルまで建てちゃうんだから。今度会ったら、なんか奢ってもらおうかな。

「キャー!!!!」
 隣で桜乃ちゃんが叫ぶ。びよーんとまるでびっくり箱のように、フランケンシュタインが飛び出してきたからだ。
 わたしもびっくりしたけれど、怖いって言うよりワクワクする。
 だって、お化け屋敷のお化けって本当のお化けじゃないでしょう?本物だったら嫌だけど、アトラクションなんだから大丈夫だよ、桜乃ちゃん。
ちゃん、もう嫌だよー!!」
「大丈夫だよー、平気平気! ほら、次は日本のお化けみたいだよー」
「夢に出てきそうー!!」
 桜乃ちゃんが目を潤ませて、わたしの袖をがっちり掴んでいる。可愛いなぁ。男の子だったら、メロメロだろうなぁ。よしよし、頭を撫でちゃえ。



ヒュ〜ドロドロドロ……
「嫌ぁぁぁぁー!!」
 頭の上を青白い人魂が飛んで、桜乃ちゃんは泣きそうになって頭を抱えた。
「うひゃっ」
 生暖かい風が首を撫でて、わたしも首を竦ませる。
 なんだか、日本のコーナーが一番怖いみたい。外国のお化けは“ワッ”て脅かしてくるのが多いけど、ここはジワジワくる怖さがある。やっぱりわたしも日本人だなぁ。
「怖いねー、桜乃ちゃん!!」
「早く出たいよぉー!!」
 桜乃ちゃんは本当に嫌そうに頭を振った。無理矢理連れてきちゃって、悪かったな。
「うん、じゃあ、早く出よう!」
「ふにゃぁ……」
 彼女の手を引っ張って、足早に通り過ぎようとすると、

「……うらめしや〜〜」
「キャー!!」
 目の前の井戸から、男の人の幽霊が出てきた。
 青白く透けた頬、ざんばらに散った黒髪、白装束に三角の布。下から照らしたライトのせいで、白目が無機質に光り、顔に不気味な影が出来ている。これでもかってほど、セオリーどおりだ。
 幽霊は薄い唇を開いて、掠れるような小さな声で恨みを訴えた。

「……はぁ、なんでオレがこんなことしなきゃいけないんだよ……しかもお化け役だなんて…いつもブツブツ呟いているから、陰気だって思われてるんだろうなぁ……あーあ、どうせオレなんて……」

 あれ……?なんだか聞き覚えがある声。わたしは思わず立ち止まって、目を凝らした。
ちゃん!! 早く行こうよー!!」
「ごめん、ちょっと待って……なんか、見た事ある気が…」
「……だって?」
 幽霊がブラックライトの中で微かに目を見張った。暗闇に慣れてきた目が、段々と鮮明に彼の顔を映していく。
「い、伊武さん!? なんでこんなところにいるんですか?」
「そんなのこっちが聞きたいよ……まさか、キミが来るなんて……」
「わぁーびっくりした! あ、そういえば、さっき橘さんの出店見かけましたよ! ……あれ、なんの料理なんですか?」
「さぁ……」
 伊武さんの顔が僅かに曇る。
 うん、確かに、あんまり美味しくなさそうだったもんね…悪いけど、わたしもあんまり食べたくなくって、勧められたけど断っちゃった。ごめんなさい、橘さん。

「あ、あとですね、最近ガットが緩んできちゃってるみたいなんですけど……いいお店知りませんか?」
「ああ、それなら……」
ちゃん、こんなところでのんびり立ち話しないでよー!!」
 桜乃ちゃんが半泣きで袖を引っ張って、わたしはやっと我に返った。
 そういえば、ここはお化け屋敷。しかも墓場の真ん中。客とお化けが話し込んでるなんて、なかなか奇妙な状況だよね。

「伊武さん、何時までここにいるんですか?」
「……もうそろそろ交代の時間だと思うけど…」
「じゃあ、出口のところで待ってますね。もうちょっとお話したいことがあるんで」
「……分かったよ」
 あれ?なんだかあまり乗り気じゃなさそう。
 でも伊武さんはいつもちょっと機嫌が悪そうだし、だからって本当に機嫌が悪いわけじゃないって知っていたから、わたしはあんまり気にとめなかった。
 それに、桜乃ちゃんにズルズル引っ張られちゃって、深く考える時間はなかったんだ。

ちゃん、早くー!!」
「分かった分かった。じゃ、伊武さーん、幽霊頑張って下さいねー!!」
「……キミって本当に嫌みなやつだね…」



 出口のところで桜乃ちゃんとは別れた。
 これから跡部さんのところへ行って、インタビューをしなければいけないらしい。大変だなぁ。
 わたしも会場の運営を手伝ってるけど、ゴミ収集係だから最後の最後まで仕事は無いんだ。ちょっとイメージ悪いけど、楽な仕事で良かった。

 自販機でオレンジジュースを買って、近くのベンチに腰掛けていたら、10分ほどで伊武さんはやってきた。
「……お待たせ」
「あ、伊武さん。お疲れさまです! 早かったですね」
「もうやりたくなかったから、早めにあがらせてもらったんだ」
 そう言って彼は前髪を掻き揚げる。その顔が心底疲れきっていて、なんだか可哀想になってしまう。ずっとあんな暗いところで人を脅かしていたんだ。疲れて当然だよね。
「大変でしたねー……あ、ジュース飲みます?」
 持っていた缶ジュースを差し出すと、伊武さんはびっくりしたように目を瞬いた。スチール缶とわたしの顔を見比べて、ふいと顔を横に背けてしまう。
「……いらない」
「そ、そうですか……」

 なんだか奇妙な沈黙が流れた。
 断られたジュースを口に運ぶのがなんだか申し訳ないような気がして、わたしはただ冷たいジュースを暖めている。伊武さんはそっぽを向いたまま、やっぱり機嫌が悪そうだ。
 伊武さんって、一見静かに見えるけど、本当はお喋りなんだと思う。
 ブツブツ呟く半分は独り言じゃなくて、誰かに向けられたメッセージなんだ。だって、伊武さんは一人でいる時はぼやかない。だからやっぱり、あれは会話なんだろう。その時思ってる事を、素直に口に出しているだけで……ちょっと困った癖だけど。
 ええーと、何が言いたかったんだっけ。
 ああ、つまり、伊武さんってボヤいてる時の方が元気なんじゃないかと思うんだ。
 だから、こんな風に浮かない顔で黙っているなんて、いつもと違う。不安になる。

「あの……伊武さん? どうかしました?」
 おずおずと切り出すと、彼はわたしの視線を避けるような、気まずい素振りをした。
「別に……」
「嘘ですよ! だって、なんかいつもと違うもん…わたし、なんか変な事言いました?」
「言ってないけど……」
「じゃあ何なんですか。あ、すっごく疲れちゃったんですか? それなら、ガットの話は今度でも…」
「いいよ、今でも……そうじゃなくて……」

 伊武さんは言いかけて、途中で口を噤んだ。本当に、どうしちゃったんだろう。言いたい事を言わない伊武さんなんて、絶対いつもの伊武さんじゃない!
 僅かに上の方にある、髪に隠れた彼の横顔を、わたしはじっと見つめた。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………分かった、分かったよ、言うよ…言えばいいんだろう…」
「もう、そんな言い方しなくても! わたし、これでも心配してるんですよ?」
 そう言うと、伊武さんは初めてわたしの顔を見た。
 灰色がかった瞳が、不意に真摯にわたしを射て、少し戸惑う。もっとも、彼はすぐにまた視線を外してしまったんだけど。



「……が来たから」
「へ?」
「キミが、ここに来たからだよ」
 伊武さんは苛立たしそうにお化け屋敷を顎で差した。
 ……でも、申し訳ないんだけど、その意味がよく分からない。困って首を傾げると、伊武さんは渋い顔をした。
「どうして分からないかなー…そんなにいちいち、全部説明しなきゃいけないワケ? あんまり言いたくないんだけど……」
「そんな事言わないで、ちゃんと言って下さいよ。本当に、分かんないんですもん」
「……それってキミが察しが悪いだけだろう……」
 伊武さんは再びブツブツやりだしたけど、途中で言葉を切って、もう一度言い直した。

「……キミに見られたくなかったんだよ。あんな事、してるところ」
「あんな事…」
 そこで考えようとしたら、伊武さんが冷たい視線を飛ばしてきた。そんな事も分からないのか、って感じで。わたしは焦って答えを探す。
「ああ、お化け役だった事ですか?」
「…………そうだよ」
 もういいだろう、と伊武さんはまたつまらなそうにそっぽを向いてしまう。
 つまりこれって、照れてるって事?それともすねてるの?
 どっちにしても、今の伊武さんはすっごく楽しくなさそうだ。何か、励ましてあげられるような、的確な言葉はないだろうか。

「でも、上手かったですよ、伊武さんのお化け」
「……キミ、どこで嫌みなんて高度な技術覚えてきたの? オレが嫌がってるの分かってて、普通そういう事、言う? ……ああ、そうか、オレの事が嫌いなんだ…だから無神経な事、平気な顔で言えるんだよね…」
「わーん、ごめんなさい伊武さん!! そんなつもりじゃ、ないんです!」

 どうやら言葉選びは完全に失敗したようだ。ますます顔色を暗くした伊武さんの袖口を、わたしは慌てて引っ張った。
「どこが違うんだよ、全部本当の事じゃないか……」
「全然違いますよ! だって、わたし、伊武さんの事嫌いじゃないですもん! むしろ好きです!」
「す……」

 伊武さんは奇妙な顔で固まってしまった。そしてピクリとも動かない。わたしはびっくりしてしまって、彼の肩を軽く揺すった。
「い、伊武さん? 大丈夫ですか?」
「……今、キミ、なんて言った?」
 伊武さんは膝に片肘をついて、額を押さえている。頭痛の人がするみたいなポーズだ。
 わたしはどうしよう、と内心慌てながら、もう一度言葉を繰り返した。
「伊武さんの事、好きですよ? だから嫌な事言うつもりなんて全然なかったんです…ごめんなさい」
「…………はぁ」
 頭を抱えたまま、彼は深く深くため息を吐いた。
「……キミと話していると、すごく疲れるよ…」
「……ご、ごめんなさい」
「……本当に、全く……」

 額から滑らせた手で口元を覆いながら、伊武さんがわたしを睨んだ。また怒らせてしまった、としょぼんと肩を落として。
 気付く。彼の回りに先ほどの尖った雰囲気がないことを。



「まぁ、最初から分かっていたけどね…に人並みの神経がないことぐらい……」
「ひ、ひどいです! 伊武さん!!」
「酷いのはキミの方じゃないの? この場合。あーあ、下らない事してたらお腹が空いたなぁ…」
「あ、そういえば、わたしも…」
「じゃあ食べに行こうか、お昼……当然、キミの奢りだよね?」
「ええー!!」
「ああ、今の事、無かった事にするつもりなんだ……酷いよなぁ、人の事傷付けておいて、知らん顔するなんて…それとも、オレなんかに気を使う価値はないってことなのかな……うわー、傷付くなぁー……」
「分かりましたよ、奢りますよ! もう!」
「……すっごく、無理矢理言ってない?」



 それでも。その時の伊武さんは、わずかに楽しそうに見えた。
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