Gaining Through Losing

 なんだか最近ついてない。
 寝違えてしまった首をほぐしながら、はつくづくそう思った。

 小さいけれどげんなりする不運が、彼女の周りを取り巻いているらしかった。
 大事に取っておいたシュークリームは酔っ払った父に食べられてしまうし、お気に入りのネクタイは部屋のごたごたに紛れてしまった。傘を持っていけば雨降らず、油断した日に限って夕立に襲われる。
 得意なはずの数学も単純ミスを繰り返し、休み明けの実力テストも惨々たる結果――の高校は大学付きの私立なので、特別を望まないかぎりそのまま進級できるのだが、それでもこの点数はちょっと頂けない。
 あまり成績が悪いと希望の学部に通らないぞ、と担任に渋い顔をされてしまった。
 しかも、今日に限って弁当に箸を入れ忘れた!!
 空腹を抱え、人混みに乱れた購買まで箸をもらいに行かねばならないなんて、全くついてない話だ。

 すっかりいじけている彼女に、親友までが追い打ちを掛ける。
「うわ、あんたの今月の運勢、最下位だよ」
 雑誌巻末のホロスコープを見ながら、同情半分、からかい半分の声が飛んだ。
 紙パックのフルーツ牛乳を啜りながら、彼女は絶望的な占いを読み上げてくれる。
「全体運:星一つ、小さなミスが連発しそう。やり慣れていることも再確認して、慎重に行動してみて。新しいことに挑戦するのは、来月まで待つのが吉。今はゆっくり体を休め、映画鑑賞で芸術の秋を楽しんでみよう――
 恋愛運も星一つか。ボロボロじゃん、! あはは!」
「うう〜」
 遠慮ない笑いようになすすべもなく、はガジガジと犬歯でストローを噛み潰した。
 そりゃあ確かに笑っちゃう程最悪な書かれようで――片思いの人は焦らないで、両思いの人は喧嘩に注意、しかもラッキーアイテムがネクタイ? なんてひどい!!――しかも微妙に当たっていたりするのだ。もう笑うしかないのかも。

 でも、やっぱり、面白くない!

 飲みすぎて飽きてしまったジャスミン茶を脇に押しやり、は机に突っ伏した。
 がつん、と額が激突するけれど、その痛みがむしろ救いだ。ああ、もしわたしが寝呆けているなら、早くすっきりさせてちょうだい!
「こないだのTVでも大殺界だって言われたし……、わたし、本当にダメかもしれない」
「やだ、あんた、あんなオバサンの言葉信じてんの?」
 歯に衣着せない言動が売りの、有名占い師“風”TVタレントが気に食わない友人は、彼女の弱気をフン、と鼻で吹き飛ばした。
「やめてよね、アイツ、口ばっかで当たらないんだから。
 早く忘れちゃいなさい。占いなんて良いトコだけ信じれば良いのよ!」
「うーん……」
 でも、今のホロスコープに良いところなんて書いてあったっけ?
 確かめようと手を伸ばしたら、ふざけてじゃれ合っていたクラスメイトがガタン!と机に体当たりして、端に追いやられていたジャスミン茶を威勢よくバッグにぶちまけた。

「うわっ!」
「きゃっ!!」
「わ、わりぃ!」
 思わず呆気に取られたに代わり、気の強い友人が眉を吊り上げる。
「ちょっと、何するのよ!!」

 それを皮切りに、立て板に水を流すがごとくの厳しい非難の数々。加害者であるはずの男子生徒も、まるで被害者のような青白い顔だ。
 低身低頭、床に額を擦り付けんばかりに謝り倒す彼らを、弱々しい笑顔で許しながら、はこっそりと思うのだ。
 ――やっぱりわたし、大殺界かもしれない。



 夜が明けて新しい一日が始まっても、やはりの運勢は機嫌を損ねたままだった。
 まず、彼女の朝は寝坊から始まったのだが、それは昨夜なかなか寝付けなかったせいである。明け方になってようやくうとうとしたと思ったら、時計は既にありえない時間を差していた。それなのに、日中も眠気とだるさが薄く体に纏わりついて、授業に身が入らない。
 寝坊してまだ眠いとは何事か、と我ながら情けなくなってしまう。
 しかもその上、またも弁当に箸がない――まぁこれは親友曰く、「ツイてない、じゃなくて、バカなのよ」らしいが。

 ともかく何もかもが上手くいかないので、さしものも腹が立ってくる。
 絡まって訳の分からないイヤホンのコードをため息と共に鞄へたたき込んで、彼女は珍しく、足音高く友人のクラスへ乗り込んだ。
「トモコ、部活行こう!」
「へ、マジで?」
 同じく帰り支度をしていた友人は、意外そうに目を丸くした。肩にはしっかりとジャージ袋が掛けられている。
「今日は出ないんだと思ってたけど」
 寝不足なんでしょ、と言われて歯切れ悪く返事をする。
「うーん……。
 だけど、このまま帰ってもどうせ勉強出来ないもん。それならいっそ、部活出て体動かして、そのまま寝ちゃいたい」

 たち三年生は、原則として夏休みまでに部活を引退する事になっている。受験勉強に備えよ、との忠告だ。
 だが、付属大学に進学する生徒にはさしたる猛勉強の必要がない。たちもその例に漏れず、一週間に一回程度は部活に顔を出す余裕があった。
「ふーん、そんなもんかねぇ」
 怪訝そうに首を傾げながら、二人は連れ立って体育館へと歩きだした。

「無理して倒れないでよ?」
「大丈夫だって……多分」
 数時間後、この言葉を激しく後悔することになろうとは、二人ともまだ思いもしなかったのだ。


*****


「ああ、もう、最ッ悪!!」
 半ばべそをかきながら、は天に向かって傘を振り回した。
 朝から雲行きが怪しいな、と疑っていたのだ。ぐずついた天気はの帰宅を待たず、道の途中で雨模様へと変わった。
 せめてもの情け、と鞄の底に折り畳み傘が入っていたものの、嵩張っているの荷物全部をカバー出来るほど大きくはない。
 結果、傘を差しているはずなのに、彼女はまんべんなく濡れそぼっていた。

「クシャン!」
 吹き付ける北風があまりに冷たくて、鼻がむずむずする。
 この上風邪まで引くなんて、もういっそ死んでしまいたい。扱い慣れない松葉杖を必死に手繰りながら、は家に向かって少しずつ歩みを進めた。



 彼女の左足はまっさらな――正確に言えば、まっさらだった――ギブスに固められている。
 骨折ではない、捻挫である。
 だがおそらくは、いっそすっぱりと折れた方がましだった。

 折れた骨を正確に接げば、前より丈夫になる事すらあるそうだ。
 だが、捻挫はくせが付く。同じ場所を何度も痛めて、そしてその度ひどくなる。

 現役時代からちょくちょく捻っていた足首は、今度の捻挫で取り返しもなく腫れあがっていた。
 整形外科の医者ですら眉をしかめるほどに。

『こりゃあもう、絶対安静だな』
 病院に担ぎ込まれたを見るなり、彼はきっぱりと言い切った。
『松葉杖を使おう。これ以上無理をすると、もうくせが抜けなくなる。スポーツどころか、歩くのも大変になるぞ』
『そ、そんなに!?』

 慌てるをたっぷり脅しつけて、医者はしぶしぶ通学許可を与えた。
 本当は家でじっとしているのが一番なのだそうだが、受験生であればそういう訳にもいくまい。
『無理だ、と思ったら躊躇しないで休むように。こういうのは疲労が一番堪えるんだ。
 痛み止めを渡すけど、それで治るわけじゃないんだからな――本当に、絶対、正真正銘安静だぞ!』
『は、はい……』



 そんな訳で、は常より早く家を出て通勤ラッシュを避け、鞄と松葉杖をどう脇に収めるか、四苦八苦しながら出掛けなくてはならなくなった。
 その上雨まで降るなんて、これはもう泣いてもいいと思う。

 は懸命に歩いていたが、道程はいつもの倍ほどもあった。
 秋雨に熱を奪われ、体は震えるほど寒い。そのくせ手負った足はなにやら悪い熱をはらんで、ずきずきと己の存在を主張した。

「このっ……ああっ!?」
 ずるりと肩から滑った鞄を捕まえようと身じろぎした途端、脇に抱えた松葉杖が雨に取られてすっぽ抜けた。
 当然、支えがなくなって身体がぐらつく。
 体勢を立て直そうとした視界に、右足のギブスが飛び込んでくる。

 ――あ、駄目…!

 傷ついた足を庇おうとして、結果、は濡れたアスファルトに倒れこんだ。



「あ…はは……」
 咄嗟に突いた手の平に、黒い砂利が食い込んでいる。膝がジンジンするのは、恐らく地面で擦り剥いたから。もしかしたら血が出ていたかもしれないが、確かめるのすら億劫だった。
 少し離れたところに杖と傘が転がり、しとしとと雨に濡れている。
 辺りは薄暗く灰色で、人も車もまばらだ。誰もを助けてくれない。

「何、この不遇っぷり……」
 やだなぁ、すっごい惨め、と笑い飛ばそうとして、は思い切り失敗した。
 顔はくしゃりと歪み、泣くのを我慢するので精一杯だ。

 いや、もうこうなっては、泣いてしまっても構わないだろう。
 ここには誰もいなく、頬はすでに雨に濡れている。

 ああ、堪えきれない。
 高三にして幼子のように公道で泣きわめくのは恥ずかしかったけど、それ以上に、いろいろなところが痛くて、重い。
 べしゃりと地球の重力に押しつぶされそうで、息が上手く吸えなくて、は喉を押さえてもがく。
 じわじわと尻が冷たくなるのを感じていたが、もう立ち上がれなかった。
 ただ、ぎゅっと唇を噛み、瞼に熱い固まりが込み上げるのを他人事のように内側から眺めていた。



 あまりに自分を制御するのが難しいので、の外に対する注意は、狭く薄く放っておかれた。
 だから彼女は、そこに通りすがった興味にも、全く気付いていなかった。
 初めは黒く巨大な塊だったそれは、やがて細身の人型になり、するりと雨の中を渡ってきて、彼女の濡れた制服の肩を掴んだ。

「どうかしたのか? 何をしている」

 聞き覚えのある艶やかで尊大な響きを、は地べたに座り込んだまま、ぼんやりと見上げた。

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