朝はまだ来ない

「ああ、今日はいい天気だねーぽかぽかだねー眠くなっちゃうねー」

 昨晩の安眠を妨げた嵐は、もう跡形もなく消えていた。燦々と輝く太陽がすっかり地面を乾かして、芝生の青がつやつやと光っている。
 その上へ腰を落ち着けているコトネは、じんわりと肌を温める心地よさに両目を細めた。
 2、3メートル先では、ボールから出したポケモンたちが若草の上を跳ねている。
「コトネの場合、ホントに寝ちゃうから困るんだよなぁ……」
 膝の上で本格的に眠りに入っているマリルを撫でながら、少年は肩を竦めた。
 長年の付き合いからいっても、さほどハズレはしない推理だろう。
 確かに一寝入りしたくなる陽気ではあるが、そろそろ年頃の娘が無防備に野っ原で寝こけるというのは、果たしていかがなものか。世の中危ないのは、野良ポケモンばかりではないのに。

 ため息をつく間にも、彼女の首がこっくりこっくりと振り子よろしく傾いでいく。

 今彼女を揺り起こすべきか、それとも甘やかして寝かしてやって温もりと多少の恩を売りつけるべきか。

 さ迷う視線がふと意味ある形に固定されて、次いでピントを絞っていけば、やっぱり見知った顔だったので、ヒビキは片手を上げて彼の名前を呼んだ。
「おーい、シルバー!」
 目線の先の少年は明らかにぎくりと肩を揺らし、音源を確かめると、こちらにきっぱりと背中を向けた。明らかに視線が交わったはずなのに。

 常なら向こうから声を掛けてくるはずが、何故無視されるのだろうか。
 首を傾げていると、傍らでコトネがうにゃあと呻いた。
「へ、シルバー…?」
「うん、ほらあそこ」
 指差して示すと、眠気で半目のコトネがふらふらと頭を振りながらそちらに目をこらす。
「え〜〜、どこー?」
「あっちだよ、あっち。あの赤毛の」
「んー見えない〜〜……」
「それは、コトネがしっかり目開けてないからじゃん……」

 ほら、行っちゃうよ、と件の方角を振り仰ぐと、思いのほか間近に彼がいたのでヒビキはちょっと驚いた。
 さっきまで去ろうとしていたはずが、いつの間にかすぐそこへ立って、こちらを見下ろしているのだ。しかも、何故か妙に不機嫌そうな顔で。

「おい、お前ら、なにやってんだよ!」
「え……なにって」
 日向ぼっこ?と首を傾げると、オレに聞いてんじゃねーよ!!と怒鳴られた。
「仮にもポケモントレーナーが、こんなとこでぬけぬけとマヌケ面晒すなよ! オレまで仲間だと思われるだろ!」
 仲間が嫌なら、わざわざ文句言いに来なきゃいいのに。
 なんだかんだ、良いやつなんだよねぇとヒビキは頬を緩める。それを見て更に、ニヤニヤすんな!と声を荒げるシルバー。

 その様子が遊んでいるように見えるのか、コトネのポケモンたちが駆け寄ってきて、構ってくれろと足元に纏いつく。彼女の愛情の賜物か、ベイリーフからイワークまで大きな身体で甘えてくるのは可愛いのだけれど、相手をする側は大変だ。
 肩までの赤毛を振り乱し、シルバーが手を焼いている様が見ていて面白かったので、ヒビキは放っておいたのだけど。

 膝のマリルを撫でながらいつ割って入ろうかと思案していると、肩口が不意に重くなった。
 この鳴き声と地響きと怒号が飛び交う喧騒の中で、コトネはそれでも眠気に勝てないらしいのだった。肝が太いというか、なんというか。
 なんとか好意的に捉えて、これだけ元気なポケモンたちと一緒にいるから疲れている、のかもしれない。
 けれど、その寝顔は幸せそのものだったし、彼女がポケモンと過ごすことに苦を感じるはずもないのだった。

「まったく仕方ないな、コトネは」
 遊んでもらっているつもりのポケモンたちに、主を示して合図する。
 彼らは殊の外素直に大人しくなり、コトネの側へ寄り添ったり、少し離れたところで遊びなおしたり、思い思いへ散っていた。

 残されたシルバーだけが、衣服に皺を寄せケモノたちの毛を纏って、髪型も無残に立ち竦んでいる。

「大丈夫? あの子たちもさ、悪気はないんだけどね……」
 声を掛けてもなお顔も上げず、返事をしないので、ヒビキは首を傾げた。
 しかし、左肩と膝の荷物がズルズルと滑り落ちそうで、ろくに身動ぎも出来やしない。
「おーい、シルバー?」

「………………お前らは……」
 えっと聞き返す間もなく、怒号にヒビキの鼓膜が揺れた。

「お前らは、正真正銘の大馬鹿野郎どもだっっ」

 その言葉に言い返す暇を与えずに、彼はものすごいスピードで走り去った。
 あれはもう、自転車よりも早いんじゃないか。ほらもう、背中が見えない。
 妙なところで感心し、侮辱に怒りが付いていかないのは、彼の斬りつけるような眼差しが、生々しい裂傷に見えたせいだろうか。
 あの言葉は確かに彼の本心で、傍から見た事実もイコールなのかもしれない。
 しかし、こちらを傷つけようとする以上に、彼の保身が見えていた。生まれて間もないコラッタが、敵を威嚇するためにでんこうせっかを繰り出すような。

 そこまで彼を痛ませる何かを、僕らは与えてしまったのだろうか。
 傷つけておいて、それに気付きもしないなんて、なんて残虐な仕打ちだろう。

 肩口では相変わらず、コトネが呑気に寝息を立てている。
 世俗のいざこざには触れようともせず、ただ一人安らかに、光の中で。

「まさか……まさか、だよねぇ?」

 もしそれが真実だとしたら、こんなに虚しい抵抗はない。彼にとっても、ヒビキにとっても。

 悲しいため息の上に、ソプラノの寝息が乗っかって、陽はまだ暖かく、燦々と地上を照らしている。

(09.12.25)


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