魅惑の首すじ

「あーっ、もー、暑ぃ〜〜」

 でれでれと悪態を吐きながら、三千也は喉を鳴らしてペットボトルを干した。
 この状態を座る、と表現したら、言葉に対して失礼だ。ほとんど寝そべっているとしか言えない格好で、彼はベンチを占領している。
 道場に作り付けの、礼儀正しく使うべき、公共のベンチで。
 もちろん譲ってやる義理などないので、わたしは彼を押し退けて自分の場所を確保した。

「おい、何だよ? あっち行け!!」
「それはこっちの台詞、何であんたが我が物顔でくつろいでんのよ」
 タオルの端で軽く頭をはたいたら、汗臭いと騒ぎ出す。
 ああ、全く! 涼しげな美貌に周りは惑わされるけれど、中身はてんで子供なんだから。
 幼馴染みの眼から見れば、クールビューティーどころか暑苦しい馬鹿である。いちいち付き合っていたらきりがない。
 休み時間は短く貴重なので、あたしは彼を無視して首の汗を拭いた。
 あーお腹空いた。今日はお母さん、コロッケ作るって言ってたっけ……楽しみだなぁ。



 三千也はしぶしぶ座り直したものの、まだ暑そうに手で風を送っている。
 あれだけ髪が長いんだから、そりゃ熱が籠って当然だと思う。もしも館長に見つかれば、どやされるに違いあるまい。
「髪切れば良いのに」
 ぼそりと呟くと、彼は眉を片方だけ嫌味に歪めた。
「どんだけ手間掛かってると思うんだよ。絶対嫌だね!!」
 ……男のくせに女々しいヤツ。内心呆れたが、予想の付く答えだったので反論はしない。

「筋肉付けて相手に勝つのは当然なんだよ。だけど、そんな汗臭い男がモテるか? 無理だろ! 渡辺や片桐兄を見る限り!!
 オレは美しく優雅に、勝負も女も手に入れるのさ」

 ほら、出た。これが三千也の怪しいポリシー。
 確かに一理あるけれど、とても正しいとは思えない――そのせいで基礎練習をさぼっているなら尚の事。
 しかし、今のところ都合良く成果を上げて見えるので、彼は未だ考えを改めようとしないのだ。
 お陰で、わたしたちは幾度となく言い争った。

 今日もやっぱりわたしは眉間に皺を寄せたけど、休み時間は残り僅か。
 この後もハードな練習が続くのだろうし、喧嘩に体力を裂く訳にもいかない。
 そうよ、、大人になって……!!

 わたしは文句を巨大な溜め息で押し流して、ポケットから黒いゴム紐を引っ張り出す。
「ほら、貸してあげるから、括れば? 大分変わると思うけど」

 しかし全然可愛くない我が幼馴染み殿は、この素晴らしい提案にさえ不満げに口を歪めたのだ。

「えー、髪に跡が付くじゃん。下ろした時、みっともないだろ?」
「……すいませーん、誰か、はさみ持ってません? バリカンでもいいんだけど」
「おいおい、ジョーダン! ……冗談だろ、?」
 後輩からはさみを受け取り、愛想良く笑い掛けるわたしに三千也は心底怯えている。
 ……とことんムカつくヤツだ。

「冗談で済むかどうかはあんた次第なんじゃない?」
 問い返すと、彼は鋭く舌を売った。
「ったく、めんどくせー女……」
 最後までブツブツ言いながら、彼は髪を束ね始める。
 確かに銀色に光る紅茶色の髪は美しく、とても人工では出せないんだけど……本当に刈ってやろうか、このナルシスト。

「ほら、これでいいんだろ?」
 彼は横柄に後頭部を示して見せた。だから何で偉ぶるのだ、と口を開き掛けて――

 普段は髪に隠れて日に晒された事がない、抜けるような白い首。
 僅かに張り付く色素の薄い後れ毛が、女性に負けないほど艶っぽい。
 それでいて、鎖骨へとなだらかに張った筋はまごう事なく男の物で――

「…………」
ぼかり。
 わたしは無言で、ペットボトルの腹を彼の頭に打ち付けた。



「痛ッ、お前、何すんだよ!?」
「うっさい!! 大体ねぇ、理不尽なのよ! 何であんたみたいなスポンジ頭が……」
「何、いきなり怒ってんだよ! 訳分かんねーヤツだなー!!」

 訳など分かるはずがない。だってこれは、ただの八つ当たりだから。
 でも三千也、乙女にこんなに惨めな思いをさせるなんて、きっとやっぱりあんたが全面的に悪いのよ!!

「あーもーいいから、練習しよう、練習! ちょっと、組み手するから相手して!」
「何でだよ!? オレはまだ休憩中…」
「もう十分経ったでしょ? あんたの休憩も終わったはず! ゴム貸してあげたんだから、協力してよね!」
ばしっ!
「あっぶね! いきなり何すんだよ、このゴリラ女!!」
「油断してる方が悪いのよ! とぉっ!」
「だから、やめろって、馬鹿!!」



 ……という具合に、今日もわたしたちは騒がしい。
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