空は何処までも蒼く、蒼く


 ぼへーっ、と目の前の高い空を眺めていた。
 薄くたなびく煙みたいな雲は、風に追いやられてぷわぷわと視界から飛んでいく。しかし、右目の端からまた新しい雲がやってくるので、全体としては変わりがなかった。
 その薄い雲の向こうに、空色が透けている。地平線近くは白を多く混ぜた水色で、上に昇るにつれてどんどん蒼みが増している。
「一口に『空色』と括っちゃぁ、失礼じゃネェか」
 銀時は色の名前なんか全然知らなかったけど、この青空が一色じゃないことぐらいは分かった。
「あと、お天道さまは赤くねぇぞ、餓鬼共ー」
 彼の視界の外れ、丁度旋毛の方向に御座す太陽は、眩しい白い光で輝いている。
「ましてや黄色でもねー」
 彼は眠そうにむにゃむにゃと呟いた。
「ったく、型にはまった大人にはなりたくないもんだ……」

「型にはまった駄目人間の典型が、大それた事言ってんじゃないわよ」
「お?」
 来るはずのなかった返事が上の方から聞こえて、銀時は瞑りかけていた瞼をこじ開けた。
 青と白の視界に、肌と黒と桃の色とが飛び込んできて、
ゴチ
「熱ちッ」
 額にデン、と熱い湯飲みが重石のように置かれた。

「何すんだ、
「こっちの台詞よ」
 煎茶の入った湯飲みを右手に、かったるそうに身を起こした銀時に向かって、彼女は肩を竦めて見せた。
「こんな昼日中から、屋根の上に寝ッ転がって空の観察してるなんて、人生垂れ流してどーすんのよ」
 仕事しろ、仕事、と言うに、彼はくしゃくしゃと天然パーマの頭を掻いた。
「ああ、今俺、お天気お兄さん目指して勉強中なんだよねー」
「嘘を吐け!!」
「ホント、ホント。マジ、マジ。この澄んだ瞳を見なさいお嬢ちゃん」
「濁った沼の底のような眼しか見えないわ」
 はうんざりした様子で、ぷい、と顔を剃らした。
「全く、茶なんか入れてやるんじゃ無かった……」
「おう、そう言えばありがとな」
 銀時は軽く右手を挙げて見せ、湯飲みの縁を掴んだまま茶を啜る。

「時に、茶請けはどーした」
「糖尿病患者が、甘いのよ」
 半眼でこちらを睨んでくる娘に、明後日の方向を向いて、彼はチッ、と舌打ちした。



「あーそれにしてもいい天気だなぁー。こんな日にあくせく働いて汗流すなんて気、欠けらも起きねーなぁ」
「だから駄目人間なのよ、あんた」
「社会に縛られないモダンなアウトローと言ってくれィ」
「結局駄目人間じゃない」
「あーもう息すんのもめんどくせーなぁー」
「……そのままくたばっちまえ」
 銀時は再び仰向けに寝転がって、瞼を下ろし、ゆっくりと胸を上下に動かしている。
 名前と同じ、銀色に透ける前髪が、額をふわふわと覆っている。
 手を伸ばしてその髪を梳いてやりたかったけど、なんとなく躊躇われて、は結局腕を引っ込めたままそれを眺めていた。
「ほれ、お前も倒れ込んでこの空を見ろ。気持ちいいぞー?」
「嫌。着物が汚れる」
「馬ッ鹿、座るも寝るも大して変わんねーよ」
「やだったら」
 無理には誘わず、彼はまた眼を瞑った。も座ったままで、そっと眼を閉じる。
 本当は、この泰然としている彼の横で、ドギマギしながら横たわるのが嫌だったのだ。暖簾に向かって体当たりをしてるみたいなんだもの。
 こんなロクデナシに恋してしまうなんて、我ながら焼きが回ったものだ、とは恨めしく考えた。



「さて、と」
 持ってきたまま手を付けてなかったお茶を、一気にぐいっと煽る。立ち上がって裾の汚れを払うと、銀時が眠そうにこちらを見た。
「なんだ、もう行っちゃうのか?」
「わたしはあんたと違って暇じゃないのよ」
 お生憎様、とべぇと舌を出して見せて、「じゃあね」とは縁に掛けられた梯子に寄った。
「次来るときは羊羹持って来いや。栗入りな」
「あんたなんか、糖尿で死んじゃえ」
 もう慣習になってしまった憎まれ口の応酬。足を滑らせないように慎重に、かつさっさと梯子を降りていくの黒髪が、屋根の縁に見えなくなるちょっと前。

「そういや、その着物新調だな。なかなか似合ってるぞ」

 はひょいと首を伸ばして、頭だけ屋根の上に戻した。
「馬ァ鹿」
 きゅっと口の端だけを器用に曲げて、小憎らしい笑みを寄越すと、はそのまま階下に降りた。



 独り残された銀時は、再びぼヘーっ、と青空を見上げ始めた。
 右手に、微かに暖かい湯飲みを握ったまま。
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