Short Short

「ありぇ?」

 ヤバい!と思った時にはもう遅くて、足の裏が二つとも空を踏んでいた。 前のめりに倒れこむ身体を重力から引き剥がそうと、飛び立つ鳥のようにがむしゃらに腕を振り回した。
 けれど、わたしの腕にはもちろん羽根なんか生えてないから、空気を掻くには役不足で、身体はなすすべもなく堕ちていく。
 テニスで鍛えた動体視力が、近付く地面とびっくり顔の伊武さんを映して、ゆっくりゆっくり、周りの景色が離れていく。

 このままでは顔からスライディング着地が必須だ!とコンマ足らずに閃いて、今度は往生際の悪い猫のように、爪を立ててしがみつこうとした。
 だけど、しがみつく先は樹の幹じゃない。ここはテニスコートだから、樹なんかない。じゃあ何に手を伸ばしたかといえば、

「うわっ!」

 身体を引き倒すG、もがく脚と腕の引き裂かれたベクトルに、わたし以外のもう一対が絡まって、

「うぎゃっっ!」

 舞い上がる土埃と、歪んだ地平線。地面にキスする恐怖に、硬く目を瞑る。閉じるが早いか、
 肉を放り出す鈍い音、突き出た腕と膝頭の熱さ、背中まで突き抜ける衝撃
 に、喉が怯んで、ぐげ、と変な音で鳴った。



 すぐには自分がどんな状態になっているのか分からなくて、身を硬くしたまま、じっとしていた。揺らいでいるのは世界なのか、それともわたしの三半規管か。
 薄目を開けてみたものの、寄せる波のような歪んだ視界が却って頭を混乱させるので、脳が正常な判断を取り戻すまでは縮こまっていた方が良さそうだ。
 衝撃にわっと吹き飛んだ神経が、パズルのように寄り合わさっていく。
 びっくりしたままだった痛覚も、至る所で自己主張を始めた。ひどく痛む部分はないものの、膝小僧の擦り傷は否めない。あーあ。
 わたしを受け止める地面は、デコボコでガサガサでじんわり暖かい。わき腹に何か硬い物が突き刺さっていて、窮屈だ。
 木の根のような感触だけど、ここは地元の山ではないから、多分、さっき引き倒した伊武さんのどこかだ。

 そうだ、わたし、一緒に伊武さんも引きずり倒したんだっけ。
 片言の脳みそが思い出して、うっっと息が詰まる。


 注意力散漫なんだよ……オレまで巻き込むなんて、どういう了見? オレに迷惑かけるのが、そんなに好きなの?
 −−ああ、でもどうせ、受け止めきれなかったオレが悪いんだよなぁ………………


 ……エトセトラエトセトラ。
 瞬時に、ぼやかれるだろう言葉の数々が頭の中にあふれかえる。
 こんなにスラスラ思いついちゃうわたしもわたしだけど、今までの経験からいっても、あながちハズレではないはずだ。これも、一緒に練習している成果の一つ……と言ったら、また間違いなく怒られると思うけど。

 とにかく、そんな気難しいセンパイだから、起き上がったが最後、何時間ぼやかれる事か! 阿呆だ間抜けだと揶揄されてたって、今回ばかりは返す言葉も見つからない。
 擦りむいた肌の熱さよりも、伊武さんのお説教が恐ろしくて、ますます瞼を開けられない。
 もういっその事、ずっとこのまま死んだふりをしていたかった。

 そんな諸々の理由を込めて固く瞑ったまつ毛の先を、ふっと揺らす風がある。
 誰かの吐息だと気付くより前に、唇に温かい何かが触れた。
 それはすぐさま離れて、わたしはぐいと押しやられ、触れた場所を冷たい風が拭っていった。



「……いい加減、重い。邪魔」
 えっ、と目を見開くと、黒髪を頬に散らした伊武さんが、わたしの下敷きにされていた。
 長めの前髪から覗く瞳は暗く沈み、背中をひやりと汗が滑る。

「あのさ、早くどいてくんない? いつまで他人の事押し倒してんの?」
「わ、ごめんなさい! すいません!」
 ついに意識が覚醒し、飛び退るようにそこから退いた。
 すぐ近くで、ラリーの打音が行き交っている。人工芝の緑と、転がる硬球の黄色。呆気に取られた顔の神尾さん、隣にいた杏さんが、大丈夫?とこちらに駆け寄る素振り。
 そして、土にくすんだ黒いジャージと、明らかに機嫌が悪い中の人。

 これは、マズい。ともかく、マズイ。
 底知れぬ恐怖の予感に、思わずごくりと喉が鳴る。

「ほんっとうに、誠に失礼つかまつりましたー!!」
 先手必勝と読んだわたしは、即座にその場に這いつくばって、低身低頭、詫びまくり作戦を決行した。
「……君がドジで間抜けで不注意なのは今に始まった事じゃないけど、何故オレを巻き込むかなぁ……それとも、テニスってタックルで点取る方式に変わったワケ? それならホント、君にはピッタリだと思うけど、オレはそんな野蛮な競技やりたくないよなぁ……」
「はいっ、もうホンットすいません! ごめんなさい! わたしが馬鹿でした!」
「ああもう、大丈夫? 二人とも怪我しなかった? あたし絆創膏持ってるよ」
「おお、何なに今の、新技? なんっかリズム悪そうな感じだったけどさ」
「こら、神尾くんっ!」
「平に平に、ご容赦を〜〜!」
「……なんか、逆にオーバーすぎて胡散臭いし…………」



 結局。
 想像したのと同じような小言を予想の三倍ぐらいもらって、どんなテニスの練習より、わたしはぐったりしてしまった。
 洗った膝小僧にピンクの絆創膏を貼ってくれた杏さんが、いくら照れ隠しでもやりすぎよね、と苦笑していた。
 照れ隠しって、どんな意味かな。やっぱり、人前で思いっきり転ばされたのが嫌だったって意味だよね?
 だって、伊武さんってわたしの事は気軽にホイホイ馬鹿にしてくれちゃうくせに、他人に馬鹿にされるの、大ッ嫌いだもんね!!<
 無意識に唇を触っていた指を、脇に下ろして握り込む。

 あれ、今、なんか思い出したような気がしたんだけど、なんだったっけ?
 頭をひねったら、代わりにお腹がぐーっと鳴った。
 ……わたしって本当に、健康で元気で馬鹿かもしれない!

 それよりなにより、次に会った時もまだ伊武さんが怒ってたらどうしよう?
 怒ってなくても、ケーベツされてるかも? もう、テニス教えてくれないとか?
 ああヤダヤダ、そんなの困る!
 もっとフツウに仲良く楽しく、テニスの練習がしたいよぉ〜!!

(09.10.08)


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