可愛いだけじゃダメかしら

 夏の近付いたマンハッタンは、今日も殺人的に暑い。
 ぎらぎらと輝く太陽はアスファルトの街を眩しく照らし、室外機はクーラーの代わりに熱風を吹き付ける。建ち並ぶビルは、さながらトースターの電気コイルだ。
 いわゆる、ヒートアイランド現象というやつである。熱を吸収しないコンクリートジャングルで、人々はじりじりと炙られている。こうして歩いているだけなのに、汗が止まらない。こうも塩分と水分を大量に体外放出してしまっては、即席干物になる日も遠くないと思われた。
 は大きく舌を打った。
 有名ブランドのサングラスと、ピンと襟の立った白いシャツ、グレーの細いストライプがアクセントのパンツスーツ。いかにもクールな都会の女、といった風情だが、実際は相当に苛立っている。
 もしも法に問われないのなら、この場で裸になってもいいぐらいだ――少なくとも、スーツなど着る気候ではない!
 この上、炎天下の公園でターゲットの監視なんて、考えただけで倒れてしまいそうだ。仕事とはいえ、やりきれない。いっそバックレてしまいたい。人命に関する仕事じゃなかったら、絶対に引き受けないのに――形の良い眉がぐいと歪む。
 彼女は大股に道路を横切って、目的地へと急いだ。



 この暑さだと言うのに、公園はそこそこ賑わっている。都心の真ん中では貴重な緑が、街の熱を和らげるためか。確かに、中央に構えた噴水は涼しい風を吹かせるし、木陰に入れば汗も引く。
 だが、グラウンドで元気に駆け回る子供たちはどうだろう?
 あんなに動いて、暑くはないのか? 顔も手足も真っ赤に火照って、まるでトマトのようだ。白人の弱い肌では、日焼けというよりも火膨れしてしまうだろうに。
 過ぎ去った若さを目の当たりにして、思わず溜め息が出てしまう。これでも鍛えているはずだが、今は彼らの体力に適う気がしない。
 熱中症にならなければいいが、と思いながら、ベンチの一つを見やる。

 枝を広げたケヤキの陰には、既に先客がいた。
 長い髪を頭に撫で付け、背中に垂らした若い男だ。仕立ての良いスーツと靴から、ある程度の収入が伺える。
 引き締まった体躯と、整った目鼻立ち。遠目で見ても、そこそこのハンサムだと伺い知れる。
 だが、男はそれ以上にうさん臭かった。一見、ベンチで新聞を広げるリッチな勤め人に見えるのだが――彼はサングラスを掛けたままなのだ。
 日陰では黒光りするぐらい色の濃いそれで、細かい文字が追えるとは思えない。光量を調節する為ではなく、顔を隠す道具なのだと公言しているようなものだった。
 不自然に膨らんだポケットには、大方双眼鏡でも入れているのだろう。

 渋い表情でこめかみを揉みながら、彼女は乱暴に男の隣に腰を下ろす。
「ハイ、首尾はどう? CIAの堅物さん」
「!? ! 極秘任務中だと言う事を忘れたのか?」
「大丈夫、そんなバレバレの尾行じゃ宣伝して回ってるようなものだから」
 絶句した同僚をさっさと見捨て、彼女は紙袋からプラスチックカップのアイスコーヒーを取り出した。
 緑色のストローを差し、啜るが、氷が溶けすぎて薄まっている。それでも喉に液体を流し込むと、多少は暑さもましになったような感じがする。



「で、どうなの?」
 ホットドッグにかぶりつく女をちらりと見て、ヒューイットはしぶしぶサングラスを外した。
「どうにも。ただの呑気な昼下がりだよ。彼女の日常は脅かされず、友人と温かく親交を深めている」
 視線の先には、健康そうに日焼けした少女の姿。二人の護衛対象である、銀行頭取の孫娘だ。
 物騒な脅迫状に振り回されて、その身を危険に晒している――最も、本人は何も知らないのだけれど。

「こっちもなーんも進展なし。FBIの連中がうろついてたけど、ありゃまだ有効なネタを掴んでないわね。やっぱり時間掛かりそう」
 局を回ってきたばかりの彼女の報告に、ヒューイットは薄い眉をしかめた。

 銀行に送り付けられた脅迫状は、今どき新聞の切り抜きを並べて張った陳腐な物である。最近の銀行はセキュリティも強固だし、相当の装備で挑まないと金庫破りなど出来ないだろう。本来なら、この事件も市警察の管轄だったに違いない。
 彼らにまで話が回ってきたのは、他でもない、犯人が指定した金庫のナンバーが、CIA当局の秘密金庫だったためだ。

「なんにしろ、穏やかな話じゃないわよね。各国の軍事規模のリストが欲しいんだから」
 欲張って口一杯にホットドッグを頬張ると、ケチャップが端から零れてしまう。母国の誇る成金調味料を指で拭いながら、は首を傾げた。
「でも、そんな目立った理由があって、どうして犯人を絞れないのかしら?」
「MI6も大したソースは寄越さなかった……」
 黒髪の友人を思い出しながら、ヒューイットは声を潜める。

 世界トップレベルの情報収集能力を持つCIAが、有益な情報を持たない。これは由々しき事態である。案の定、部署は混乱に叩き落とされた。新たな過激派から新興宗教、果てはただの素人集団なんて説も飛び交う始末。
 とりあえず、エージェント二人を現場に放り込んで、上層部は情報収集に必死だ。彼らが動かせる部下はほとんど残っていない。
 幼い子供を取引に使うような、卑劣な輩に遅れを取るわけには行かないのに。たった五人ぽっちでは、物量で攻められたら、対応しきれないではないか。



 満足な警備も出来ない現状に、はもちろん腹を立てていたが、相棒はそれ以上に激昂していた。
「犯人像が思い当たらないからって、警備に手を抜くべきじゃない。人命が何よりも優先されるはずだろう? せめて、外出禁止にするべきだよ」
「下手に動いて、犯人を刺激しても良くないんだってさ。あたしたちがどれだけ苦労しようが、上はお構いなしなんだから」
「我々が努力するのは当然だけど、彼女を危険な目に合わせるのでは、護衛の意味がないじゃないか」
 怒りを押さえ切れないのか、男はそわそわと落ち着かない。

 それを見て、彼女はははーん、と見当を付けた。なにせこの男の趣味ときたら、今まで出会った人類の中でもトップクラスに最低なのだ。

「彼女、可愛いものね」
 何気なくぽつりと呟くと、視界の隅で男の肩がぎくりと震える。
 先程から必要以上に視線を投げていたくせに、今更なヤツだ。
 しかし、如何にヒューイットと言えど、多少は脳が残っているらしい――先月もストーカー疑惑を掛けられ、危うく減給になりかけたところだった。さすがに素直には頷かない。

「つ、つまり、わたしは、未来に希望ある子供を事件に巻き込もうとする犯人のえげつなさがね……」
「あ、でも、結構おてんばみたい。あんなところによじ登っちゃって、スカートなのに、危ないわよねぇ。落っこちたら大変だし、何よりパンツが……」
「ぱ、ぱんつ!?」

 思わず双眼鏡を構えたヒューイットが、はっとこちらを振り向く。
 ほら、やっぱり。
 珊瑚色の唇でストローをくわえながら、はうっとりと微笑んだ。

「ペドフィリア」
「うっ」
「プレデター」
「ううっ」
「全世界の親御さんの敵」
「……!!!」

 氷のような言葉のナイフで切り付けられて、さすがにぐぅの音もなく黙り込む。
 一応、罪の自覚はあるようだ。だが、哀れむ気などこれっぽちもない。
 どう考えても一番不幸なのは、被害者の幼女と巻き込まれる自分である。



「あんたねぇ、いい加減に直しなさいよ、その変態趣味。また左遷になるわよ、いやいっそされるべきだわそうしてちょうだい。あたしの足を引っ張るぐらいなら!」
 はずるずると音を立てて、すっかり水っぽいコーヒーを啜った。
 FBI時代から面識があり、引き抜かれた時期もほぼ同じなので、言い方に澱みがない。元より、思った事ははっきり口に出す女だった。
 密かに大使館左遷がトラウマだったヒューイットは、さすがにむっとして言い返す。

「可愛い女の子を見ちゃいけない、とでも法律で定められてるのか? わたしにだって恋する権利はある!」
「あんたのは明らかにストーカー法と未成年保護法に触れてんじゃない。
 ともかく、公私混同は厳禁よ! それでもプロのエージェントなんでしょ? 不審な動きを見せたら容赦なく撃つからね」
「彼女への想いはプラトニックだ!!」
「すぐバレる嘘吐くの、虚しくない?」
 確かめてあげましょーか、と彼女は視線をやたらに下に落とす。
 顎をかすめるように放った右フック、ついでボディーをめった打ち。
 無情な事に、レフェリーはタイムを命じない。
 脳震盪を引き起こしそうになりながら、赤コーナーのヒューイットは息も絶え絶えに喘いだ。

「き、きみだってこないだまで“彼女”と同棲してただろう!?」
「ああ、アレね。なかなか貴重な体験だったわ」
 したり顔で頷くは、全然応えているように見えない。事実、何の動揺もしていなかった。
 ヒューイットは幼女に手を出すから、変態で倫理観のない無節操な男なのだ。
 誠意を持って大人と付き合うは、例え女と寝ようが、宗教倫理以外は何も犯してない。責められる言われはない。

「女の恋人は初めてだったけど、割と楽しかったわよ? やっぱり男より綺麗だし、細やかだし。
 それにしても、あんなコトするなんて驚き…」
「わーわーわーわー!!」
 詳細を語ってくれるな、とヒューイットは耳を覆い、青ざめる。どうやらレズビアンには否定的な見解らしい。心の狭い男だ。
 そんな事しなくても、教えてあげないわよ、彼女は機嫌を損ねた。

「あーもー! いいから、あっち行きなさいよ!」
 シッシッ、と犬の子を追い払うように手を振る。
 そもそも、ここは彼の持ち場だったはずだ。疲労困憊のヒューイットが抵抗すると、つららよりも冷たい視線が返ってくる。
「どうせまた気を散らすに決まってるわ。あんたはダメ。入口で不審者見張ってなさい」
!」
 思わず叫んだが、心の底では諦めている。彼女には勝てない、と。
 ああ、これだから薹が立った女は嫌なのだ! 狡猾で気が強く、少女時代の可憐さは時の流れに消え失せている!!



 後頭部を睨みながら立ち去ろうとするが、ちょいちょいと人さし指で招かれる。
「……まだ何か?」
「そのサングラスじゃ、どこ歩いたって不審者よ」
 ホットドッグの包み紙を手渡され、遠慮せずに眉をしかめる。ゴミぐらい自分で捨てろ、無精者め!

 しかし、包みは空ではない。何か固い物が指に触れる。
 それは恐らく……。

「あと、ついでにこれも」
 彼女は飲み干したアイスコーヒーのカップを彼の手に押し付け、バッグから出したファッション雑誌をめくり始めた。
 ――やっぱりゴミじゃないか!



 憤慨しながら背を向け、直射日光が突き刺す木陰の外へ足を踏み出す。
 新しいサングラスに掛け直し(悔しい事にセンスが良かった)、ゴミを屑籠に叩き付けながら、ヒューイットは思うのだ。

 15を過ぎた女は魔物だ、と――。

2style.net