ride on!!

「ほら、早く早く!」
「わ、わ、そんなに引っ張らないでよ、ジロー!」

 覚醒モードのジローがぐいぐいとわたしの手を引っ張りながら、ホームに駆け込んだ。
 背中に背負ったリュックがガチャガチャ音を立てている。ああ、お弁当ぐちゃぐちゃになってなきゃいいけど…。

 ジローと学校に行くときは、いつもとっても喧しい。
 何故なら寝起きの悪いジローを起こすのに時間が掛かっちゃって、遅刻ギリギリの電車に乗らなきゃいけないからだ。部活で鍛えた脚力を最大限に生かさなきゃ、とても間に合わない。
 お陰でわたしの太股はどんどんムキムキになる一方!お嫁の貰い手がなくなったらどうしてくれるのよぅ!

「あっ、席空いてるー! ほらほら、、こっちこっち!」

 悩める乙女心など露知らず、先に車内に飛び乗ったジローが、こっちに向かって手を振っている。
 は、恥ずかしいからやめてほしい…!

「早くしないと座られちゃうよっ!」
「や、やめてよジロー!」
 いつまで経っても子供なんだからっ!ほら、周りの人にクスクス笑われてるよ〜!
 幸い下りの電車だからラッシュなんて関係ないんだけど、混んでる電車でやったらひんしゅくものなんだからね!

 諸々の文句を込めた瞳で彼を睨むと、キョトンとした顔が返ってきた。
「どしたの、?」
 あーもー!
「だからぁっ!」
 今日こそしっかり言ってやらなきゃ、と勢い込んだわたしだったけど、「あ」とジローが声を上げたから気を削がれてしまった。


「おばーちゃん! ここ座りなよ! ね?」
 丁度電車に乗り合わせたお婆さんの袖を軽く引っ張って、ジローが席を譲って――もとい、誘導してあげていた。
 悪いわねぇ、とお礼を言うお婆さんに、全然OK!なんて言っちゃって。
 こういう事が自然に出来ちゃうところが、ジローの凄いところだ。初めて会う相手なのに、本当のお祖母ちゃんと孫みたいに見える。ジローの明けっ広げで人懐こい性格が、お婆さんを和ませるのかもしれない。

「はい、も座って!」
 と、ジローが空いてる席を指差…そうとして虚空で迷った。
 杖をついたお婆さんが、ゆっくりと車内に歩みを進めるところを見ちゃったからだ。

「…………」
 大きな瞳をくりくりと動かして、でもジローが迷ったのはほんの一瞬だった。

「ね、おばーちゃん! ここ空いてるよ!!」

 ……わたしはそれを見て、心がポカポカ暖かくなった。

「あらありがとう、お兄さん」
 前を通り過ぎるお婆さんが、にこりと笑いかけてくれる。
 わたしも笑顔を返した。ジローに出遅れた分の気まずさもちょっと含めて。

 お婆さんを二人空いてる席に座らせた彼は、吊り革にぶら下がりながらふわふわの頭をわたしに寄せてくる。
「ごめんね、の席無くなっちゃった!」
 ひそひそ声が耳にこそばゆい。
 わたしは笑いたいのを堪えてジローの耳に囁き返す。
「ううん、良かった!」
 それを聞いてジローがにっこり笑った。

「今度はに座らしたげるからね!」



 こんな芥川慈郎が、わたしの好きなジローです。












「…………ぐー」
「…ジロー、口空いてるよ」

 帰り道。電車の席で無防備に口を開けたまま寝ているジローに、わたしはため息を隠せない。
 天使のような寝顔、と表現できれば良いものの、幼なじみのひいき目から見ても、ただの間抜け面である。
 かくん、と時折落ちる首で、慌てて意識を戻すけど、沈没するのも時間の問題に見えた。

「幾らなんでも寝すぎだよ……脳みそ溶けちゃうぞ?」
 それでも彼を無理矢理起こすことなど出来やしない。

 テニス部は今、関東大会に向けて猛練習しているところらしい。
 体育館で部活している間も、部長さんの跡部くんが指示を出す声が聞こえた。
 そして、ジローがどれだけ頑張っているか、わたしは知っているんだ。
 体育館の窓から覗き見してね。

 右手を伸ばして、ジローの膝から落ちかけた鞄を支えてあげる。
 わたしに出来ることはほとんどないけれど、ゆっくり休んでまた元気にテニスをしてくれればいいな、と思ってる。
 ちゃんと応援してあげてるんだぞ、優しい幼なじみはね!


 そんなことを考えながらボーッとしてたから、最初は気付かなかった。
 前に座っていた同い年ぐらいの男の子二、三人が、こっちを見てクスクス笑っていたことに。

「……ふっとい足!」

 ……え?
 何だって?

 言葉の意味がすんなり頭に入ってこなくて、わたしはぽかんと口を開けてしまった。
 向かいの男の子が、意地悪そうにわたしを見ていた。
 バチッと目が合って、わたしに向けて発した台詞だと知って、もう一度頭の中で反復して、それからようやく怒りが湧いた。
 むっかぁぁぁ、と音が出るかと思うぐらい、わたしの頭に血が上る。

 知ってるわよ自分の足なんだから、太いことぐらい!
 でも、なんでそんなこと、見ず知らずのあんたたちに言われなきゃいけないわけ!?
 巨大なお世話だったら!!

 怒りのあまり、頬が勝手に熱くなる。
 こんなときこそ反応しないで、冷たい視線でも返してやれたらいいのに、思考とは反対に顔は火照るばかり。これじゃあいつらを喜ばせるだけだ!

 せめて何か言い返してやろうと思ったのに、頭の中は真っ白で、わたしはぱくぱくと息を吐くだけ。
 もっと現国の勉強しとけば良かった、なんてとんちんかんな事しか思いつかないんだ。

 握り締めた拳に、堅い爪が食い込んでいる。
 ムカつく!
 すごいムカつく!!

 そう、憤慨して怒髪天を衝く感じなのに、じわあっと熱い物が瞳に込み上げてきた。

 わたしはそれを必死に押し戻そうと、眉間にしわを寄せる。
 そんなわたしを見て、向かいの男の子たちは意地悪く笑う。

 ムカムカして、ドキドキして、頭がどうにかなっちゃいそうだった。



「きみたち、のお友達?」

 そんなときだ。
 寝てるとばかり思っていたジローが、彼らに話し掛けたのは。

「違うの?」
 呆気に取られてる彼らの前で、いつものように無邪気に首を傾げて、
「他人なら、オンナノコの足ジロジロ見んなよなー!」
 ケーサツに通報するぞー、バーカ!と言って、ジローが立ち上がった。

「行こ、
「ちょ、待てお前!」
「待たないよーん、ノロマサン!」
 んべーっと舌を突きだして、わたしの手を掴んだジローがひらりとホームに飛び降りる。
 わたしの鞄の後ろで、ピシャン!とドアが閉まった。
 ガラス越しの怒っている相手に、ジローが余裕のスマイルで手を振って、ガタン、ゴトン、と銀色の電車が動き出す。

「ばいばーい!」
 にんまりと人を食ったような笑顔は、あんまり見慣れない種類のものでわたしはびっくりしてしまった。
「ちょ、ちょっと、ジロー……」
、だいじょぶだった? あんま気にしないの、ね?」
「う、うん、そうだね…」

 わたしはまだ手を繋いだまんまのジローの体温に、それどころじゃなかった。
 ジローと手を繋ぐのは初めてって訳じゃないけど、やっぱりこの年でやるのはまた違った気恥ずかしさがある。

「あいつら、が可愛いからちょっかい出してきただけだって!」
「ええー、そうかな…?」
「そうなの!」
 信じがたいわたしの言葉をすっぱり切って、ジローがぷうっと頬を膨らませている。
 それはいつものジローと変わらなくて、わたしはちょっと安心した。


「それはどうでもいいけど、ジロー、ありがとね」
 そんなに変わらない位置にある顔を覗き込むと、ジローはにぱっと笑った。

「うん! も一応オンナノコなんだから、気を付けろよ!」
「わ、分かってるよ! 一応って何よ! ジローなんて、寝ちゃってたくせに!」
「あ、そうか…ごめん!」
「んもー!!」

 腕を振り回して怒ると、左手の先のバッグと、右手の先のジローがぶらぶら揺れた。
 ジローは、わ、が怒った!とか言いながら、ちっとも気にしないで笑ってる。



 そしてこんな芥川慈郎も、わたしの好きなジローです。
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