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冒険の一時
(細い腕・・・・・。)
暗闇の中、女は自分の右手首を左手で掴んでみた。
柔らかくはないが、あまりに細い。
色や輪郭はぼんやりとしかわからない。ただ左手が感じるその細さは何とも心許ないものだった。
溜息をついて手首から手を離し、代わりに両手で膝を抱え込む。
腕だけでなく、身体全体が頼りないものに思われた。
筋肉が衰えている。
(何日、経ったんだろう・・・。)
太陽を見なくなってから。
温かい食べ物を食べなくなってから。
陽の光も射さず、人も通らぬこの地下迷宮では、わかるはずもない。
早く出たいなー、と小さく声に出した。
直後、すぐ近くで聞きとがめたような呻き声があがり、しまったと口を閉じる。
そろっと目だけをそちらへ向ければ、今回の旅の相棒が壁に凭れたまま眠っていた。
眠りが浅いのだろう。先程の小声に反応したか、もぞもぞと動いている。
それも当然だ。
一応交代で休むようにはしているが、辺りは何が潜むかわからぬ真の暗闇。
ここまで来る間にも何度か、見たこともないようなバケモノに遭遇してきたのだ。
それどころか、眠っている間におかしな罠に嵌まった事まである。
安心しきって深い眠りにつけるはずもない。
女は、精一杯身を縮めて息を潜めてみた。さっきの声は気のせいだとでも言わんばかりに。
耳をすませて相手の動きを追う。
ふと、それが盗賊の時と同じ所業だと気付いて、おかしくなった。自然、口許が綻ぶ。
本当に些細な事だけれど、こういう時、一人ではなくてよかったと思う。
延々と続く暗闇と静寂、それに閉塞感。
自然界の生き物の気配などはまるでなく、何か音が聞こえた時、それはほぼ間違いなく身に危険が迫った時、である。
こんな中一人でいれば、緊張と焦燥が限界に達し、おかしくなっても無理はない。
何かに襲われることなどなくても、誰も通らぬこの場所で、人知れず倒れるのみだ。
実際、一人でこの迷宮に入ってから、気が滅入るばかりだった。
これなら、灼熱の砂漠でも極寒の氷山でも、大空の下であるだけまだマシだと思えたくらいだ。
けれど、今は違う。
もう一人の人間の存在がある。
起きている間は始終どちらかが文句を言ってはいるが、自分以外の声が聞こえるのは、それだけで貴重なものだ。
眠っていても、微かに寝息が聞こえる。確実に、そこに人がいるという気配。
一人では気付かないかもしれない精神の異常にも、気付くことができるだろうという安心感。
冷たい壁でも、かび臭い風でも、水路の水草でもない、人間の匂い・・・・・。
そこまで思い至って、女は眉間に微かな皺を寄せた。
(匂いか・・・・・。)
ずっと同じ服を着たっきり。動けば汗をかくし、そうでなくとも狭い通路を通れば苔がついたり埃に塗れたり。
気温自体が低いのが救いといえば救いかもしれないが、時折湿度の酷い場所に出たり、やむなく水路を歩いたりもする。
その上、陽光による乾燥という恩恵も受けられない。
身に纏う空気が、段々と透明なものでなくなっていくのも、仕方がない話であり・・・・・。
思わず、再び大きな溜息をついた。
人間の匂いは、ありがたくもあるけれど、これはちょっと、ヤバイかもしれない・・・。
スラムの浮浪者と、今の自分達と、どっちが酷いだろう・・・?
そう考えて、微妙な笑みを浮かべた。
改めて、自分の衣服をの匂いを嗅ぐ気には、とてもなれない。
先に地下に潜った自分は、相手より酷いに違いない。
その事実に、なんとなく気が滅入る。
一人なら、そこまで気にもならないかもしれないのに・・・。
矛盾していると思いつつも、手持ち無沙汰の癖で投擲ナイフをくるりと回した。
気が狂うかもしれないという心配に比べれば、明らかにお気楽な問題ではあるのだが。
「風呂、入りたいなあ・・・。」
「・・・うん?なんか言ったか?」
思いがけず声が返って、一瞬心臓が縮み上がり、ナイフを落としそうになった。
目を真ん丸に開いたまま振り返れば、さっきまでもぞもぞとしていた道連れは、すっかり目を覚ましている。
そういえば、今、普通に声を出してしまった気がする・・・。
「あー・・・いや、なんでも。・・・・・てかごめん、起こした?」
あまりにくだらない内容なので、言うのも憚られ、適当に流す。
「じゅーぶん、休んだ・・・つーか、そろそろ交代だろ。」
特に眠そうな様子も疲れた素振りも見せず、さっさと座りなおした相手を眺めた。
「そう?じゃ、遠慮なくー・・・。」
一人ではない旅と言うのは、つまり相手の無事が自分の無事であり、同時に自分の無事が相手の無事に繋がると言う事である。
変に譲り合いをしてみたり、強がってみたところで、どちらかの体力が尽きればもう片方も危険に晒される。
だから、最初に決めておいた。
体調に関しては、決して嘘をつかないことを。
大丈夫と言えば、それは本当に大丈夫なのだ。充分休んだと言うならば、そのとおりなのだろう。
「なんかおかしなこととかあったか?」
「特にない。・・と、ああそうだ・・・」
ふと思い出したように、女は立ち上がっておもむろに移動した。相手を中心にして、それまでいたのとは丁度反対側へと。
それから、今まで自分がいた方角を指差し。奇妙な表情でその行動を見守っていた相手に顔を向ける。
「あっちから、風が吹いてるみたいだけど」
「お、そーいえばそーだな。ンじゃ、お前が休んだらそっち行くか・・・ってオイ、なんでそんな離れンだよ。」
「別に。」
相手は、ごそごそと横になる準備を始めた女を不満気に眺め、その口調で更に続ける。
「なンもしねぇーってわかってんだろ」
「うん、そんな心配カケラもしてない」
「・・・・・。」
あるのかないのかわからないような、ぼろぼろの外套を被って、女は続ける。
「おやすみ、ジャックル」
それは短い会話の終了の合図。
「へーへー、オヤスミ」
溜息混じりの返答を聞きながら。
風下の、相手から離れた位置を陣取った女は、ほんの一時の休息に入った。
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たらたらいたーさんからいただきました!(でも実は昔に!)
この話しかなり好き!懐かしきジャックの活躍。Sさんカワイイ。
これからの作品楽しみにしてます。
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