23.



 ゾロと別れてから、サンジはすぐに目に付いた酒場に入った。カウンターに腰を下ろして酒を頼む。ややあって出されたグラスを一気に半分ほど煽り、一息吐いた。
 後悔なんてしていない。ゾロに手酷い傷を負わせても、それでも告げたかったことだ。受け入れてくれるのではないかという期待は微塵もなかったので、こうなったこともちゃんと納得出来る。
 ゾロはちゃんと答えてくれたじゃないか。嘲笑も侮蔑もなく、本気で答えをくれたじゃないか。
 オレだって、冷静に伝えられた。言いたいことは全て言った。
 清々しい気分とは言えないが、それでもサンジは落ち着いていた。手を振り解かれたとは思わない。真摯に答えてくれたゾロがその証拠だ。恋愛云々は抜きにしても、あの男はちゃんと自分を思ってくれている。それだけでよかった。
 ぎりぎりまで無様にメリー号に縋って、思い思われて、皆を感じて、ゾロを感じて。
 あの建築家とは違う。必要なのは、只これだけ。なくしてなんかいない。だから後悔してない。
 そう思い、サンジはまた一口酒を飲もうとした。しかし、グラスを持とうとした瞬間、少しだけ浮いたグラスがずるりと滑った。幸いにも中身は零れなかったが、サンジは目を見開いて自分の手を見た。
 微かに震えている。認識した途端、ガタガタと一層震え出した。サンジは慌てて左手で右手を握った。ぎゅうっと強く握り締めると、その震動が全身に伝わってしまいそうになって、きつく己の右手を睨む。
 今頃になって緊張してきた。バカみたいに動揺していた。
 本当は、心底怖いと思っていた。告げなくたって、ゾロが自分を思ってくれていることくらい、ちゃんと分かっていたのだ。必要だと思っていた手は、ちゃんと差し伸べられていたのだ。
 それでも告げたのは、傷を残したかったから。あの男に、消えない傷を残したかった。
 全て自己満足だ。答えなんて別に欲しくなかった。告白することでゾロに自分を植え付けたかっただけなのだ。真剣な想いを無下に出来ないあの性格を利用した。微かな罪悪感を抱かせたかったのだ。
(最低だ)
 そんなことは百も承知だ。今更悔やんでも仕方がない。
(――悔やんで……?)
 先程までは、後悔なんてしてないと思っていた筈なのに、早速それが覆る。サンジはそんな自分を笑った。ぐっと手に力を込め、グラスを持ち上げて一気に煽る。カランと氷が揺れた。
「おっさん、もう一杯」
「オレも。同じのでいい」
 空になったグラスを差し出した時、不意に横から声が聞こえ、サンジは驚いて振り返った。間違えようもない声だ。やはりそこにいたのはゾロだった。
「――お前…、何で……」
「奢ってくれるんだろ」
 掠れるサンジの声に、ゾロは事も無げに答え、サンジの隣に腰を下ろした。すぐに差し出された酒をゾロはぐっと煽る。サンジは未だ呆然とゾロを見つめていた。
 手の中にあるグラスを回し、揺れる氷を見つめながら、ゾロは感情の窺えない声で言った。
「確認しとこうと思って」
「……確認?」
 怪訝な表情でゾロを見つめるサンジの方を、やっとゾロは振り返り、真っ直ぐにサンジを見つめながら口を開く。
「お前は一体どうしたいんだ?」
 サンジは目を見開いた。ゾロは視線を逸らさず、更に畳み掛けるように言った。
「オレに、どうして欲しいんだ?」
「――」
 絶句した。目を逸らすことすら出来なかった。即座に答えることなんて出来る筈もないくらいに、頭が回らなかった。只ゾロを見つめることしか出来なかった。
 ゾロの問い掛けは尤もだ。想いを告げるということは、関係を変えたいという意思があってのことだ。変化を望むからこそ口に出すのだ。そして、告げた瞬間にリスクを背負う。例え望まない変化であっても、受け入れなくてはならないということ。その想いが強ければ強いほど、確実に何かが変わるということ。
「オレ、は――」
 僅かに漏れた声は、酷く掠れていた。何と言っていいか分からなかった。言ったところで叶えてくれるつもりもないくせに、とも思った。全く律儀な男だ。律儀で優しくて、そして残酷だ。
「オレが、どうしたいとか、そんなモンどうだっていいだろ。言えば叶えてくれるってのか?」
「勘違いすんな。確認だって言ってんだろ」
「確認して?それから?てめぇはどうしてくれるわけ?」
「当たるなよ。てめぇの気持ちを、疑ってるわけじゃねぇ。……オレもお前も、船を降りるつもりはねぇだろ」
「あぁ?当たり前だろうが」
「だから、確認したかったんだ」
 ゾロはそう言うと、一口酒を飲んでから、静かに続けた。
「オレはお前の気持ちに応えることは出来ねぇ。でも、聞いたからにはどうしたって変わっちまうだろ」
「……」
「オレはどうしたらいい。どうして欲しい?普段通りにして欲しいのか?離れて欲しいのか?どうなんだ?」
 全くどこまで律儀な男なんだ、とサンジは半ば呆れていた。
 ゾロがサンジの想いに応えることはないけれど、これからの生活はサンジの欲するようにしてやりたい。せめてそれくらいはしてやりたい。そういうゾロの優しさが、無神経だけれど嬉しかった。嬉しいと同時に、切り刻まれるような痛みも感じた。バカな男だと思った。オレも、お前も。
「お前は本当にデリカシーっつーモンがねぇな。トドメ刺しに来たのかよ」
「だから確認だって言ってんだろ」
「あっそ。じゃ、言わせてもらうけど」
 サンジはゆるく笑いながら、煙草を口に咥えた。マッチを擦り、火を点ける。深く肺まで吸い込んでから、ふぅっと吐き出した。
「……お前は何もしなくていい。今みてぇに、追いかけて来てオレの意思なんか聞かなくたっていい。気ィ遣わなくたっていいんだ」
「別に気遣ってるわけじゃねぇけど」
「まぁそうだろうな。無神経だもんなー、お前」
 そう言って笑うサンジに、ゾロは少し憮然とした。そんなゾロに、サンジはけらけらと笑った。グラスを手に取りゆっくりと回しながら、また煙草を吸う。吐き出した煙はふわっと舞って、すぐに消えた。
 そうしてサンジは、口元に笑みを刻んだまま、穏やかな声で言った。
「でもまぁ……そうだな。……忘れないで欲しいんだ」
「……てめぇの気持ちを、か?」
「いや、それは忘れてくれても構わない」
 怪訝な表情で見つめてくるゾロを振り返り、サンジはゆるく笑いながら続けた。
「オレを、忘れないでくれ」
 意味が分からないというような顔をするゾロに、サンジはそれ以上言わなかった。また一口酒を飲む。
 サンジが一体何を言いたいのか分からなかったけれど、言葉を続ける気はないようなので、ゾロもまたそれ以上は言わなかった。
 胸に刻まれた傷ほど強烈でなくてもいい。そんな鮮明な記憶にならなくていい。いつまでも疼き続けるような、小さな小さな古傷のように。感じるか感じないかというくらいの、けれど消えない傷のように。
 只、自分という存在を忘れないで欲しいと思った。









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