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 テーマは「ファンタジー」。。。
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*** ルディア (036:しるし) *** novela「彼女・彼氏とその事情」参加作品
「あなたは……莫迦です……」
 そう言った少女の瞳から、大粒の涙が転がり落ちた。小さなその声は、洞窟の中にかすかな余韻を残して消えていく。
 一面の岩肌。そこに設えた小さな部屋は、洞窟の岩をうまく利用し、外からはそこに部屋があるなどわからないつくりになっていた。ベッドとテーブルと椅子が二脚。ベッドの脇には小さなサイドボードとタンスと本棚。そのどれもが、簡素ではあるがとてつもなくよい素材が使われよい仕立てがされていた。ついたてで仕切られた部屋の隅には簡単な炊事場。少女がそこで暮らしているなら、たぶんそれはあまり不自由なく過ごせるだろう部屋だった。
 ベッドの脇の椅子に座った少女の白い華奢な手は、城から大量に運ばせた木綿の布を裂き、傷口に合うように包帯を作っていく。
 目の前に横たわる騎士。少女は彼の漆黒の前髪をそっとあげ額の汗をぬぐった。腹部の傷は、普通ならばその場で命を落とすほどのもの。しかし、いくつかの幸運な状況と、彼が生来持っているのであろう強運に助けられ、その炎は未だ消えずに灯っている。きちんとした手当は済んではいたが、どんなに時を調整しても、完全に止血することはできていない。そのため現在、新しい薬と包帯を作ることは少女にとっての最大の使命になっていた。
 サイドボードにおいた木の盥の水が、淡く透明な赤に染まっている。少女は右の袖でぐっと涙をぬぐうと、盥を持って立ち上がった。
 と、その首筋にあたたかな息の気配。
「きゃ……! ああ……カーン……」
 慌てて振り返ったそこには、一匹の巨大なドラゴンが、その大きな前足に小さな手桶を下げて立っていた。
「ありがとうイムカーン、汲んできてくれたの?」
 少女は盥の水を炊事場の排水溝へと捨て、イムカーンと呼ばれたそのドラゴンから手桶を受け取ると笑顔を見せた。が、それもすぐに曇ってしまう。手桶の水を盥に移しながら、少女はその紅い唇をきゅっと噛み締めた。
 それを、イムカーンは首をかしげてみつめた。
 ふと顔を上げた少女と、ドラゴンの心配そうな目が合った。
 少女はしばらくその目をみつめ、やがて盥をもってベッドサイドへ戻ると、ひとりごちた。
「絶対……死なせはしません……。このオーラの地をかけても……」

* * *

 少女の名は、ルディア。大気の国アトマスフィエーラの第一皇女。オーラと呼ばれる時の洞窟の守護を務める。時を司るちからをもったこのオーラの地を、代々彼女たちアトマスフィエーラ皇帝の正当なる血を引く姫が守ってきた。ルディアの母も、祖母も、その母も、みな一度はこの地に立ち、守護についていた。ルディアがその任を言い付かったのは六年前。十歳の誕生日を迎えたその日だった。
 十歳の誕生日。
 目が覚めると目の前に母の顔があった。いつもオーラの地にあり、滅多に城には戻らない母。夢かと思い何度も目をこすり瞬きをし、優しく微笑む母のキスと誕生日の祝福の声でそれが夢ではないことをやっと悟った。
 一日中多くの祝福をうけたが、「それ」はその日の夕方、ルディアのもとを訪れた。父王から中庭へと呼び出され祝宴の間から出向いたそこに「それ」はいた。
 体長一メートルほどの、小さなドラゴン。
 大きな羽ばたきと巻き起こる風に上空をみると、そこにはそれは大きく美しい見事なドラゴンが旋廻していた。そのドラゴンは母の声に静かに中庭の芝の上へと降り立った。
 それがオーラの地の守護獣、神獣とあがめられる神秘のドラゴン、カトレイブスを見たはじめてだった。
 そして、唐突にルディアは悟った。「その日」が来たのだと。
 小さなころより、言い伝えを聞かされていた。「皇女の下に神獣が降り立つとき、時は満てり」と。オーラの地の守護が世代交代を迎えるとき、その者に従うドラゴンが生まれるのだという。
 母のドラゴンは「ダルーラ」といった。母がこのドラゴンに会った日に自ら贈った名。赤銅色の肌と黒い瞳、頑丈な爪と強靭な翼をもったダルーラは、この日まで母とともにオーラの地を守り続けていた。
 ルディアは、目の前にいる小さなドラゴンをじっとみつめた。ダルーラよりもほんの少し明るい赤銅色の肌と黒くまあるい瞳、まだ小さいながらもしっかりとした四肢と翼から、成長すれば素晴らしい体躯のドラゴンになることは容易に想像できた。
 イムカーン――ルディアはドラゴンにそう名づけた。「可能性」という意味だ。これから先をともにする、その未来を思って。
 翌日から、ルディアは母とともにオーラの洞窟に入った。そして十日後、イムカーンとふたり、その地に残った。守護者の交代が、完了していた。

* * *

「無理をされてはいけません。この地のちからで今だけ時の流れがゆるやかになっているのです。ご無理なさればすぐ傷は開いてしまいます」
 起き上がろうとした騎士の肩を押さえて再び横にしながら、ルディアは静かに、だが、ちからをこめてそう言った。
 オーラは時の洞窟。時間と空間を統べるちからを持つ。この洞窟を通れば、行きたいところへ行きたいときに行くことが可能になる。望めば、過去へでもはるか未来へでも。しかしこれは禁忌でもあった。自由にそれを許せば、ありとあらゆるものが狂ってしまう。それを防ぐため、アトマスフィエーラはオーラを代々守護してきた。勝手な出入りがされぬよう――外敵がこの地を通って侵入せぬよう――皇女がその身を挺して守ってきたのだ。
 三日前、この地を大きな敵が襲った。
 なんだかわからない暗い影が、あっという間に洞窟に入り込み、通り過ぎようとした。入口に張った結界をあっさり突破し、ちょうど洞窟の中ほどにいたイムカーンとルディアをなぎ倒し、目にも留まらぬ速さで奥へと向かっていった。
 とてつもない衝撃に朦朧とする意識の中、ルディアは首からかけたペンダントの角笛を吹いた。手のひらに乗るほどのその笛は、しばらく前に渡されたものだ。オーラの出口――水の都エンザーク。その地の王女より、難事にはこれを使うようにと言われて贈られた。
 しばらく、何事もなかった。
 が。
 遠くで名前を呼ばれた気がして目を開けたルディアの前を、先刻の黒い影とそれを追う五匹の龍が入口に向かって飛び去っていった。慌てて起き上がったそこに、最後尾にいた赤い龍からひとりの騎士が舞い降りて駆け寄ってきた。まだふらついているルディアに手を貸し立たせ、怪我がないことを知ってほっと笑顔を見せた。
 天界の水の都エンザークが誇る最強の龍騎士アクア・シールの一、赤龍のスティラート。この地で会うのは、三度目だった。
 最初は半年ほど前。オーラの出口に異常がないことを確認にいったとき、偶然その地で彼に会った。エンザークにとってもオーラの洞窟は禁忌の地。王家の人間しかその地には立ち入れない。ルディアが守護についてからこっち、定期的に見回りはしているが、そこで人にあったことなど皆無だった。それが――お互い驚愕し、ルディアは驚きのあまり相手の素性を確認することをも忘れ、思わず結界を張ってその場を逃げ出したことをはっきり覚えている。
 二度目はその二か月ほどあと。エンザーク王女がオーラの地を訪れた。彼女は自分の守護龍騎士――天界でその名を知らぬものはない最強の守護騎士団「アクア・ディーオ・カヴァリエーレ」の五人を伴っていた。通称「水の封印――アクア・シール」と呼ばれる彼らは、五匹の守護龍を使う天界一の守護騎士だ。いままでそんなことはなかったのにと訝しがるルディアに、エンザーク王女は水の都の異変を告げた。得体の知れない影。それが見え隠れする、と。王女はルディアと同じくオーラの出口を守護していたが、エンザークの異変をもその身で守らねばならない。これまでとはなにか違うその異変に、王族にしか知らされていなかったオーラの存在をアクア・シールの五人に打ち明け、自分の代わりに守護を頼んだのだという。その中に、赤龍の騎士スティラートの姿があった。あの時目が合って思わず逃げ出してしまったその相手だ。その日は遅くなるまで五人とルディアはお互いの情報交換をした。その日だけで、まるで昔からの友達のように五人と打ち解けてしまった自分に、ルディアは少なからず驚いていた。イムカーンだけが友達だった。そこに一気に五人と五匹の仲間ができたようなものだった。
 そして三度目。
 目の前の黒い瞳をみつめ、ルディアは自分を取り戻した。なにがあったのかを簡単にスティラートに告げ、イムカーンの背にふたりで飛び乗ると入口目指して飛んだ。
 オーラの洞窟の入口外は、すでに戦闘状態にあった。アクアの青龍、白龍、黒龍が上空で敵を逃がさぬよう結界を張り、洞窟入口では赤龍と黄龍が敵の侵入を食い止めるべく同じように結界を張っていた。スティラートは赤龍に戻り、ルディアは洞窟の入口真正面、黄龍と赤龍のうしろに立つと、さらに結界を強化した。
 敵の正体がわからない――その実体がつかめない黒い影。天界最強と謳われるアクア・シールを翻弄するその攻撃力。そして、それの目的もまた正体と同じくわからなかった。オーラをつぶそうとしているのでも、アトマスフィエーラに向かおうとしているのでもない。ではエンザークかと思うとそれも違うようだ。アクアの五龍も神獣カトレイブスもその目的ではないらしい。それは実際遊んでいるように見えた。単に攻撃するそれそのものを楽しんでいた。獲物の小動物をいたぶる獣のように、ちょっと手を出しては止め、決して本気ではない。それでも、防戦する六人には限界があった。あらゆる攻撃がいとも簡単に撥ね返され、決着はつきそうになかった。が。
 それは、あっという間のできごとだった。ルディアには、なにがどうなったのか瞬間では判断がつかなかった。
 黄龍が仕掛けた最大の結界で影を包み込みその範囲を狭めて敵の身の自由を奪ったかに見えたそのとき。
 突然、洞窟前の黄龍の背にいたエスペランサをスティラートが突き飛ばし、赤龍が黄龍のからだに体当たりしてその場から移動させた。奥へ入れというスティラートの怒鳴り声に咄嗟に洞窟内に駆け込み身を伏せた――瞬間。ルディアの目の前が真っ白になった。
 轟音。閃光。熱風。
 しばらくの、間。
 顔を上げたルディアの目に映ったのは、自分を守るように立ったイムカーンと、洞窟入口に張られた炎の結界。慌てて外に飛び出しかかったのを、イムカーンに遮られ押し問答をしているうちに、入口の結界が解け――ルディアはイムカーンの脇をすり抜け外へと走った。
 敵の気配が消えてすべての結界が解けていた。洞窟の入口から少し離れた場所に、なにかを取り囲むように五龍が集まっていた。ルディアはからだから熱が奪われていくような錯覚を抱きながら、そこへ走った――。
 スティラートの額の汗をふき取り、ルディアはそっと息をついた。手当てをしてくれた城の侍医が、意識が戻れば死の危険は少なくなるといった。そして、この三日ずっと戻らなかった意識が、いまさっきやっと戻った。
「ここは、オーラの中です。ちからを借り、この部屋の時の流れを遅くしています。お目覚めになられたのなら侍医を呼ばねば。もう一度手当てをし、その後時を早めます。今度は再生治癒の手助けをしてもらうために」
 盥の水を替えながら、ルディアはスティラートにそう説明した。
「……みんなは?」
「みなさまは、いったんエンザークにお戻りになられました。出口の結界の強化と、王女へのご報告で」
 ベッドサイドの椅子に戻ったルディアは、スティラートの黒い瞳をみつめて、笑顔を見せた。
「けれど、ご無事でよかった……。黄龍の気に包まれたあなたをみて……心臓がとまりました。この地のために……わたしのためにあなたを死なせてしまったのではないかと……」
「……被害は?」
「大丈夫です。あとのみなさまにはお怪我はありません。この地も、なにごともありませんでした。あのときスティラート、あなたが防いでくれなければ……おそらくここは半分以上が消滅していただろうと」
「ちがうよ……」
「……はい?」
 話の途中でそれを遮られ、ルディアはまじまじと彼を見つめた。
「俺が言ってるのは…………君のことだ、ルディア……。怪我はなかったのか……?」
 ルディアは言葉を呑んだ。アクア・シールの赤龍の騎士である彼が一番に気にかけるのは、おそらくは同じアクアの騎士のことだと思っていた。それが……。
「だいじょぶか……?」
 ひとこと言うたび、大きく肩が上下する。呼吸が苦しいことはそれがなくてもよくわかった。ルディアはスティラートの問いにゆっくりと頷き、またそっと彼の額の汗をぬぐった。
「大丈夫です。どこもなんともありません」
「……そっか……」
 その答えにふっと笑ったスティラートは、大きくひとつ息をつくとそのまま目を閉じた。
「ゆっくりおやすみになってください。侍医が着きましたら、お知らせします」
 そう言い椅子を立ち、部屋の外へ出た。
 いたたまれなかった。
 アトマスフィエーラの皇女として、その身を気にかけている者は大勢いる。しかし、ルディアというひとりの少女の身を本気で案じてくれる存在が果たしてあったか――両親は除くとしても、自分をひとりの人間として気にかけてくれたのは本当に片手にも余る。
 それを。
 ――わたしの身を……案じて……。
 胸が、熱かった。
 洞窟の入口に立ち、外を見た。
 あふれる緑と静寂。
 これを守ったのは自分ではない。
 アクア・シール――水の封印。
 天界最強の龍騎士団。
 ――あたりまえなのかもしれない。彼らの役目はエンザークの守護。あの水の都を命を賭して守っているのだから。そこに通ずるこのオーラの地を守るのも、彼らの当然の役目ではないか……。
 そう思い……しかし思考は、五龍の騎士のひとりにとんでしまう。
 赤龍のスティラート。
 ルディアにとってそれは、生まれてはじめて感じた、自分でもよくわからない感情だった。

* * *

「まったく無茶して。どれだけ心配したと思ってる?」
「しゃーないだろが。あのままほっといたらみんなでなかよく天国ツアーだったんだぞ?」
「だからっておまえが楯になる必要はないだろ? もう!」
「いてて……っ! わかった……っ、わかったから……もうちょい優しく……っ」
「贅沢言うんじゃないよ」
 ふたりのやりとりに、ルディアはそっと笑いをかみ殺した。
 ベッドの上のスティラートと、その手当てをしているエスペランサ。同じアクアの龍騎士だが、兄弟のようなそのやりとりに、思わず笑ってしまいそうになる。
 あの敵襲から十日、やっとこうして笑っていられるようになった。
 意識が戻ったスティラートのために城の侍医を呼んだそのとき、黄龍の騎士エスペランサも一緒にここに駆けつけた。防御と癒しが彼のちから。スティラートが命を落とさずに済んだのも、黄龍と彼のちからをぎりぎりまで使って応急処置をしたからだった。医師としての能力をも持つため、彼だけはエンザークに戻らず、アトマスフィエーラの城で侍医と一緒に待機していたのだ。ルディアに呼ばれここを訪れ、侍医は城に戻ったが、エスペランサはそれから一週間、毎日こうしてこの部屋を訪れていた。
「おに……あくま……ひとでなし……」
「なんとでもお好きなように」
「いてっ!」
「こんなわがまま者、ほっといても死にはしないよ、ルディア」
 テーブルの前の椅子にかけていたルディアに、エスペランサは笑ってそう言った。処置後の傷を軽く叩かれたらしいスティラートは、顔の上にのせた枕をちからの限り抱きしめている。痛かったのだろう。
「侍医さまから薬はでてるだろうけど、一応これも。スティラはエンザークで育ったからね、慣れた薬ほうがより効き目があるかもしれない」
 ルディアの前のテーブルに、エスペランサはいくつかの包みを置いた。
「とくにこれ。パナケーアっていう植物の実なんだ。ありとあらゆる症状に効力がある。疲労回復にはとくにね」
 そう言って開いた小さな皮袋のなかには、直径三ミリから五ミリほどの真っ赤な丸い実がたくさん入っていた。それぞれの薬の効能を聞き、ルディアはそれらを大切にサイドボードにしまった。
「ひと月ほどかかるっておっしゃられてたよね。それまで面倒かけるけど、よろしく」
 そうルディアに頭を下げると、エスペランサはベッドのなかのスティラートの左手を一度握って、そのまま笑顔で部屋をあとにした。そのうしろ姿を部屋の外まで見送り、ルディアはそっと息をついた。
 あたたかな、気遣い。
 同じ運命を行く者の無言のいたわりを、彼らアクア・シールの五人からは感じることができた。
 彼らに会うまで、自分はひとりだった――そう思うと、ついため息が漏れる。
 そういえば、同じ年頃の男性と接することも、ルディアにはなかったことだ。
「エスランは帰ったか?」
 部屋に戻ったルディアに、枕を背にベッドにからだを起こしたスティラートがそう訊いた。
「はい…………あの……そのお名前は」
 エスラン――と、スティラートは確かにそう言った。
「あいつの愛称。ちっこい連中がエスペランサって呼べなくてそう呼んだのが、いつの間にやら定着してさ。言ってなかった?」
 ベッド脇へと促され、ルディアは椅子にかけた。
「はじめてお聞きしました。わたしの前ではみなさま、ちゃんとお名前でお呼びになっていらしたから」
「まだ初対面といっていいほどの相手にはそれはしてない。愛称ってのは、そういうもんだろ?」
「……そうですね」
 応えながら、表情が硬くなるのをとめられなかった。
 初対面といっていいほどの相手。
 たしかにまだ三度目だ。
「君は? ルディかな」
「……え?」
「みんなになんて呼ばれてた?」
「…………わたしは……別になんとも……」
 愛称。
 記憶を辿ったが、思い出せない。みな、敬称をつけきちんと名前を呼んでくれていた。どこでも、どんなときでも。
 また少し息が詰まって、ルディアはそっとため息をついた。
「そっか。じゃ、ルディでいいや」
「……はい?」
 うつむきがちだった顔をあげると、黒い瞳が笑っていた。
「俺のことはスティラでいいよ。みんなそう呼ぶし。だから、俺は君のことをルディって呼ぶ。だめかな」
「……え……いえあの……だめなんて……」
「じゃ、決まり。そうしよう」
「でも……あの……」
「なに?」
「わたしは……まだお会いしてからそんなに日もたってはいませんし……」
「なんで? 関係ねーじゃん、そんなの。君はこの地の守護だ。俺たちもそういう役目を持ってる。同じ運命を歩いてるだろ? いままではひとりだったかもしれないけど、これからは違う。エンザークからアトマスフィエーラには正式にこのことは伝わってる。両国が認めた同じ役目だ。ってことは俺たちは一応仲間関係ってことだろ。それにさ、そーゆーのなくても、俺は君をもう友達だと思ってるけど。友達を愛称で呼ぶのは別に不思議なことじゃない。違う?」
 ルディアの心臓が、音をたてた――気がした。ひざの上で握った両手に自然とちからが入り、瞳は床の一点をじっと見つめた。
 皇女としての身分が、普通の少女としての生き方をさせてくれなかったと思う。そばにいるのはいつも家臣、侍女、教師、大人たち。同じ年頃の子どもたちは、神聖視された皇女には気安く接することなど決してなかった。いくらルディアがうちとけようとしても、どこか特別に扱われていた。そして、いつしかそれが普通になってしまった。時期が来れば重い使命を果たさねばならないことも、普通の少女の生き方をさせなかった一因だった。
 それが。
 「同じ運命を歩いている、仲間」。
 いや、それ以上に。
 「友達」。
 まるで、はじめてその言葉の意味がわかったような衝撃があった。
 心臓が、とくとくと早回りしていた。胸のあたりが、熱かった。
「ルディ?」
 スティラートのその声に、ルディアは思い出したように瞬きをした。
「え、あのっ、ルディアっ?」
「……はい? あら?」
 なぜかあわてているような調子になったスティラートに顔を上げたが、そのとき右手の甲に水滴が落ちた。驚いて頬をぬぐってみると――涙。ぽろぽろと大粒の涙が、自分の頬を転がり落ちていることに、ルディアはそのときやっと気づいた。
「ごめん、なんか気に障ること言ったかな。だったら謝るよ」
「いえあの……全然そんなことはないのですけど……いやだわ、なにかしらこれ……」
 泣くつもりなどなかった。泣きたいことなどなかった。けれど、涙が次から次へとこぼれ落ちる。
「なにかいやなことでも思い出した?」
 その問いに、ルディアは涙をぬぐいながら首を横に振った。
「いいえ。ただ……さっきのあなたの言葉を聞いていたら……心臓がどきどきして……。ごめんなさい、わたし、いままで同じ年頃のひとと話すことなどあまりなかったので……緊張しているのかもしれません」
 泣きながらの笑顔。自分では止めようもない。涙をぬぐったその右手を、ふいにスティラートの左手がつかんだ。
「……あの……」
「歳、聞いていいか?」
「……じゅう……ろくになりました、先日……」
「おんなじだ」
「え?」
「俺も、十六。もうすぐ十七だけど」
 驚いた。物腰などから、二つ三つは上だと思っていた。
「エスランもそう。一番上はエルで、次がフェイとフィデス」
「……まあ。みなさま大人びてらっしゃるからもう少し上なのかと……」
「苦労してんだ、いろいろ」
 スティラートの笑顔に、ルディアもつられて笑った。自然と涙が止まっていた。そっと握られた右手があたたかかった。
 それから問われ、ルディアは少しずつ自分のことを語った。見える部分だけではなく、見えないそれをも。スティラートが相手だと、不思議と素直に言葉が出た。言葉が見つからずたどたどしく続くそれにも、彼は黙って聞いてくれた。それから、スティラートも自分のことを話した。アクアの騎士に就くまでのことやそれ以後のこと。問えば、なにごとも隠さず気軽に答えてくれた。ルディアにとってそれは、十六年生きてきてはじめてのことだった。話の間ずっと握られている右手のあたたかさに、不思議と安堵感を覚えた。
「正直、やれないと思った、ガーナが死んだとき。俺に赤龍は無理だと。けどあいつは、俺しかいないとそう言い切った。後継者はおまえしかいない、だからやれ、おまえならやれる、と。信じるっきゃないじゃん、そーなったら」
 赤龍の騎士としての道を行かなければならなくなったときの葛藤。ルディアのように最初から決められた道ではなかったそれを目の前にだされたとき、それでも彼は行くことを決意した。自分は生まれたときからすでに決められていた道を歩いているだけ。けれど、スティラートは違う。いきなり目の前に提示された先の見えない道を選ぶのは、どれだけ苦しかっただろう。なにかきっかけとなるものがなければ、その決断はできないだろう。少なくとも、自分が彼の立場ならそうだとルディアは思った。
「俺の名前、なんて意味かわかる?」
「スティラート……ですか? いいえ」
 唐突な質問に、ルディアは首をかしげた。それに対して、スティラートはこう言った。
「“星”」
「…………星……」
「空で光ってる、あの星。ガーナはこれを、標だと言った。暗闇で輝く星の光、それがあれば迷わない、って。俺はその光を自分のなかにもっている、だから迷ったら自分に問え、必ず道は開ける、ってね。『心のなかに輝く星――おまえにそれがあるかぎりおまえは誰にも負けない。その名――スティラートという名にかけて……』。ガーナの言葉だ。だから、がんばってこられた。星が消えたらみんなが迷う。そう思って。できるかぎりのことはやってきた。実際は、まだまだだけどね」
 星。
 ルディアは、まっすぐに目の前の黒い瞳をみつめた。
 エンザークの守護龍騎士アクア・シールの一、赤龍のスティラート。漆黒の髪に黒い瞳、なつっこい笑顔。大雑把な物言いだが、いつもどこかに人を安心させるあたたかさをもち、その瞳にはどんなときでも明るい光を宿す炎の使い手。
 星。
「スティラート……」
「ん?」
「わたしはあなたを……友達だと…………そう思ってよいのでしょうか……」
 小さな声で、そう訊いた。
「いいよ、なんで? さっきからそう言ってるだろ? いままで何年も、君はイムカーンとふたりだけでこの地を守ってきた。正直、それは尊敬に値することだと思ってる。いくら決められた運命だからって、重すぎるといっても過言じゃない役目だと。そこへ、俺たちの手を貸せるときがきた。使命は同じ。俺にとって、君はもう大事な友達だ。身内だよ。もしかして、それは迷惑?」
 まっすぐな、黒い瞳。飾らない言葉。
 ルディアは、静かに首を横に振り、握られた右手に力を込めた。そして。
 このひとになら――このひとになら、告げてもいいのかもしれない……。
「あなただけに……聞いていただきたいことがあります」
 大きく息をした。
「――うん。俺でよければ」
 かわらないスティラートの言葉に、ルディアは決心した。
「アトマスフィエーラの皇族は、俗称のほかに正式名を持ちます。その名は、一生のうちに数えるほどしかない大切な聖なる儀式の折にしか使われません。ですから、両親と司祭のほかにそれを知る者はほとんど存在しません。古くからの言い伝えで、正式な名を知られた相手には心をも許すべしと言われているからです。本当に信頼し、自分をすべて預けられるひとにしか、それは告げることを許されていないといってもいいでしょう」
 ひと息にそこまで言って、一度息を継いだ。
「スティラート――あなたにそれを、お教えしたいのです……」
 スティラートの黒い瞳が驚きで見開かれた。が、ルディアは彼の口を封じ、さらに続けた。
「あなたは、わたしを認めてくださった。これまでわたしには、イムカーンしかいませんでした。アクアのみなさまとお知り合いになれたとき、どれほど嬉しかったか。でもそれは、使命をともにする者としてのつながり。わたし自身のことはあまり関係がないのだと思っていました。けれど……あなたはそれを否定した。まず、わたし。なによりも、わたしを気にかけてくださった。わたしにとっては……はじめてのことでした。みなの気遣いにわたしが気づいていないだけなのかもしれません。けれど、それを最初に気づかせてくれたのは……わたし自身があってこそなのだということを明確に言葉にしてくださったのは……あなたがはじめてです、スティラート。わたしには、それにお応えできるだけのちからはまだありません、ですから……聞いていただきたいのです、わたしの名を」
 言いながら、ルディア自身も驚いていた。どこからこれだけの言葉があふれてくるのかわからない。が、とめられない。
 それがスティラートにも伝わったのか、しばらく黙っていた彼は、やがてゆっくりと頷いた。
 ルディアはもう一度大きく息をして自分を落ち着かせ、そして、言った。
「わたしの正式な名は……アミーラ=エステレラ・ルディア=アトモスフェーラ……」
「エステレラ……ルディア?」
「『アトモスフェーラ家の正当な皇女・星のルディア』……という意味です……。名前に“星”という冠を戴く者は、代々、一族の導き手という役目を持つと言われて来ました。いまは、そうなってほしいという願いをこめて贈る名ですが……」
「星の……ルディア……」
 そうひとりごちたスティラートに、ルディアはうつむき、静かに言った。
「そう。あなたの名と同じ――星、です」
 握られたままだった右手が、強く握りなおされた。
 ルディアもまた、そっとそれを握り返した。
 しばらく、どちらもなにも言わなかった。
 握った手のぬくもりだけで、他にはなにも必要なかった。
 やがて。
「目を、閉じて、ルディ」
 ルディアは素直にそれに従った。
「なにが見える?」
「……なにも」
「じゃあ、そこに一点、光を描いて」
「……光?」
「そう。それが、君の中の君の星だ。君が君であるしるし。いつでも、君を導く」
「わたしの……星」
「それじゃ目を開けて。今度はなにが見える?」
「……あなたが、スティラート」
「俺は君にとっても標でありたい。この名にかけて。だから――ひとつ約束してくんないか?」
「……なんでしょう」
「その輝きを、いつまでも失わずに。君を標としている、多くのひとのために――友のために――」
「……わたしは…………あなたにとってもそうあることができるでしょうか」
「できるよ。星は、自分だけのちからじゃ輝けない。さまざまなものからちからをもらい、もらったちからを輝きにかえ、それらを導く。俺は君からちからをもらう。だから、君がもし迷ったときには手を貸すよ。君もそうしてくれればいい、難しいことじゃないだろ?」
「……はい」
「それから、もうひとつ」
「はい?」
「俺のことはスティラ、だから。敬語もなし。極力気は遣わない。了解?」
「…………はい」
 ルディアはにっこりと笑顔になった。
 と。
「邪魔したかな?」
「きゃっ!」
 部屋の入口からのいきなりの声に、ふたりとも飛び上がらんばかりに驚いた。
「……フェイ!」
「まあ、みなさま……いつの間に」
 アクア・シールの四人――青龍のエリュージュ、白龍のフェイネル、黒龍のクレルフィデス、黄龍のエスペランサ。そのうしろに、困ったような表情のイムカーンがうろうろしていた。
「カーン。みなさまがお着きになったのなら、教えてくれてもよいでしょう? いつからそうしていたの?」
 イムカーンの前に立ったルディアが、ぷっと頬を膨らませて抗議する。それに対しても、イムカーンは困っていた。
「カーンは悪くない。いま来たとこだよ、ルディ。スティラも死にそうにないし、それなら君だけじゃ炊事は大変だろうと思って、みんなを誘って戻ってきたんだ」
 エスペランサが笑って説明しながら、両手の荷物を炊事場に運んだ。ほかの三人もそれに習う。
「あの……エスペランサ……。それは……」
「食料だよ、ルディ。スティラはとんでもなく食うんだ」
 まんまるの目で荷物の山を見ていたルディアに、フェイネルがそう言った。とたんにベッドから抗議の声が。
「フェイ! でたらめ教えるなっ」
「怪我人がお元気に騒ぐんじゃねーよ。静かにしてろ」
「だってエル……!」
「……寝たいのか?」
「…………いい」
 エリュージュにぽんぽんと頭を叩かれ、クレルフィデスのひとことでなぜかスティラートはおとなしくなった。
 部屋の中が一気に明るく、またあたたかくなった気がした。料理に談笑に、ルディアは絶えず笑っていた。すべての雰囲気が、自然とそうさせた。こんなに笑ったのは生まれてはじめてだと断言できるほど、遅くまでそれは続いた。
「お帰りになられるの?」
「五人揃って行方不明になってるわけにはいかないからな。また来るよ、ルディ」
 ルディアの問いに、エリュージュがそう応えた。
「君とあいつをふたりきりにさせるのは、一抹の不安があるんだけど。とりあえずは君のちからと忠実なイムカーンに期待して」
「は?」
 フェイネルの言葉に首をかしげたルディアは、背後に視線を感じて振り返り――
「スティラ……」
 ベッドのうえからスティラートがものすごい目をしてフェイネルをにらんでいた。
「……フェイ……覚えてろよ、てめー……」
「おやすみのキスを、ルディ」
「あら」
「フィデス!」
「あ、ぼくも」
 なんの不自然さも感じさせず、クレルフィデスがルディアの頬にキスをし、それを見たエスペランサも同じように反対側の頬にキスをして。
「おやすみ。スティラを頼むね、ルディ。それじゃおやすみ、スティラ」
 にっこり笑って手を振ったエスペランサに、ベッドのうえのスティラートを見ると、あきらめたかのようにちからなく手を振り返していた。
 部屋の外でいつまでも四人を見送っているルディアに、イムカーンが寄り添った。
「大丈夫よ、カーン……」
 ルディアにとって、すべてがはじめてだった。
 アクア・シール。天界最強と謳われるエンザークの五人の龍騎士。
 彼らと出会ったいま、自分のすべての歯車が正確に噛み合い、確実にまわりだした気がした。
 アトマスフィエーラの皇女の身。
 オーラの地の守護の身。
 ただの自分。
 点在していた、思い。
 それらすべてがひとつに集まり、ルディアの胸に小さな明かりを灯した。
 自分の中に輝く星。
 自分が、自分である、しるし。
「いまね……とてもうれしいの……。もう大丈夫……もっと強くなるわ。ありがとう、イムカーン」
 イムカーンの大きな前脚にそっとくちづけ、ルディアは部屋に入った。
 ベッドを見ると、帰り際のエスペランサの言葉どおりに、スティラートは眠っていた。瀕死の怪我からまだ十日、元気に見えても相当消耗しているはずだから薬を使ったと言っていた。もちろんそんなことはスティラートには気付かせない。軽口を叩き合っていても、お互いのことは手に取るようにわかっているらしい。うらやましく思ったが、いまはすでにそこに自分も含まれていることも、ルディアにはわかっていた。五人ともまったく説明することなくルディアの前でお互いを愛称で呼び合い、なんのためらいもなくルディアを愛称で呼んだ。女性に対する気遣いはしても、それ以外は同等だった。それが、本当にうれしかった。
 スティラートの肩にそっと布団をかけ直し、テーブルの上のランプの明かりを落とした。
 服を着替え、自分のベッドの上に座り、夜の祈りのためそっと手を組み目を閉じた。が、すぐにその目が開いた。何度か瞬きをし、やがてまたゆっくりと閉じた。
「……わたしがわたしであるしるし……。この星がどうか……みなの標となりますよう……」
 閉じた目の闇に浮かぶ光――星。
 その星を胸に、ルディアもまた、眠りについた。
・・・FIN・・・
《あとがき》
このお話は、「エンザーク奇譚正伝《ルシーダ世》」の外伝になります。が、実はもっと複雑な背景もあったりなんかして……。しかし、とりあえずルシーダ世のアクアのみんなの話には間違いはありません。このお話は、エンザークとはタイムトンネルともいうべき洞窟でつながっている大気の国アトマスフィエーラ皇女ルディアのお話です。本編より先に外伝を出してしまうなんて掟破りをやっていいのでしょーか……。
「エンザーク奇譚」は、本館でご覧いただけます(^^)
※なお、このお話は、活字中毒支援サイト「novela」の「彼女・彼氏とその事情」企画に参加しています※
企画参加作品置場  広川組別館

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